これが今という時代の構造なのだろうか。

人気漫画を原作としたテレビドラマの原作者が声を発しました。原作に極力忠実であることを願っていたにもかかわらず、制作者サイドがその声を軽視してか異なる物語を進めていたからです。テレビドラマにおける原作者というのはこんなにも非力な存在だったのか、と知るきっかけになりました。もちろん様々な関係性があり、一概ではないのだとも察します。しかし今回の件は連載継続中でもあり、原作のファンはこの先の原作の行方を楽しみにしているのですから、ことさら原作との距離感は十分に配慮すべきだったと思います。そうでなければその原作はすでに原作とは呼べなくなってしまいます。だったら最初からオリジナルのストーリーで発信すればよいだけです。
そして事態は最悪の結果となりました。
世の中のことはここまで行ってしまわないとおさまらないのだろうか、と悲しい気持ちになります。一時的な感情や、ちょっとした単語のチョイスの誤り、そうしたことがあっという間に大事になります。たちまち犠牲者が生まれます。時すでに遅しです。
ものを作る側の人間のはしくれとして、作品にプライドがあることは原作者に共感ができます。しかし今回の件は作り手のプライドだけではなく、原作者の悲しみや怒りは、原作のファンである人々を裏切ってしまっているという心情、これ以上ファンを失望させたくないという作家としての責任感を強く感じます。
犠牲者が出るまで終わらない。犠牲者が出ることでようやく事態は収束に向かう。そういうことが最近とくに多いと感じます。そうなる前に終われることはできないのでしょうか。それともこれが今という時代の性なのでしょうか。