こういうところにも日本人の誠実さを感じます。

この夏、まだ緊急事態宣言が発出される前の頃、私は郊外に休暇に出かけました。その県では店が問題なく酒類を提供できていて、私はそこでよく冷えたビールをいただきました。その実に美味しかったこと。今でもその感動を覚えています。コロナ禍で外飲みする機会がめっきりなくなった昨今、店でくつろいでお酒を飲む、という平時ならごく当たり前の行いに、深いありがたみを感じました。家飲みが増えていますが、店でくつろいでお酒を飲む時の幸福感とは、全然種類が違います。
そうして考えると、お店に出かけて行って皆でわいわい酒を飲み話しをする、浮かれたりはしゃいだり、はめを外したりする、そういった時間が日々の中でいかに大切であったのかを感じさせます。日々の中にそうした時間がはさまれることで、メリハリができたり、リフレッシュできたりしていました。ふだんはさして意味のない時間だと思っていたことが、実は大切な時間の一つでした。
食を楽しむことの大切さという点で、少し話はそれますが、日本の食というのは世界の一流国家の中で物価が安いですね。たとえば東京とニューヨークではまったく違います。ニューヨークである程度まともなランチをしようとすると、日本円で2~3千円、あるいはそれ以上を取られます。へたをすると朝食でもそのくらい取られるそうです。雑な想像をするに、その内訳というのは食材の原価や従業員の報酬や設備投資だけでなく、家賃やオーナー報酬のような、一部の人だけが潤う流れで動かされている印象があります。言っては何ですが、大した設備投資もスタッフ教育もサービスも提供していないお店がそういう値段なのですから。対して、同じ価格帯を敷く日本のホテルでは、食材をランクアップさせたり、気持ちのよいスタッフのもてなしを徹底していたり、非日常な空間をしつらえることで、その金額を必然にしています。
帝国ホテルには帝国ホテルの企業努力とふさわしい価格帯があり、デニーズにはデニーズの企業努力とふさしい価格帯があり、個人店には個人店なりの努力とふさわしい価格帯があります。いずれの属性にも妥当な値段とか適正価格とかいう納得感があり、それが維持されていることで結果的に「日本の食は安い」ということになっているのでしょう。否、「日本の食は適正価格」という言い方が正しいかもしれません。
「日本の労働賃金のレベルは食の低価格に原因がある」のように言う人もいるようです。私はこの手の専門家でも何でもないので無責任なことを言いますが、どう考えてもニューヨークより私たちの街の方が価格は健全です。売る方も買う方も互いにリスペクトがあり、自分だけが潤えばそれでいいという発想や、一部の人だけが儲かるような片寄りが生まれにくいからです。