「見せたい住宅」とはよく言ったもの

某企業が主催するセミナーに、有名な建築家であり家具デザイナーである中村好文さんが講演をされると聞き、EverGreenHomeの設計を数人連れて出かけました。

 中村好文さんのポリシーは、「流行に左右されない、居心地重視の家」であり、それが実績として表されています。それはまさに当たり前の哲学です。ところがいざ創造者たる者、何かと時流や先進性につい目を奪われてしまうもので、あえて氏のような高名な方がかくも堂々と当たり前のことを述べられるというのは、とても意味があることだと思っています。

 講演の中で氏は最近のの家づくりのトレンドを「見せたい住宅」だといって嘆いていました。「二世帯住宅」のシャレですね。ははは、「見せたい住宅」か、上手いことをいうものだ、と会場全体が笑いとともに感心していました。なるほど思い当たる節があります。「そういえばキャンティレバー(方持ち)構造で、柱を立てずに羽出ししてとか、強度を度外視して見栄え重視のような家が最近はそこいらじゅうにあるなあ・・」そういうのは構造的に無理がかかるわけだからお金もかかる。それにデザインで一時目を引くとしても、流行ってしまったものは3年も経つと「ああいう羽出しって一時期流行ったよね」みたいに小声で言われるのがオチだったり。まあ逆をかえせば、できなかったことをできるようにするということは、構造や工法の進化のきっかけにもなるので、そういう意味では「見せたい住宅」も技術の躍進には役立っているのですが。

その講演を聞いたからというわけでもないでしょうが、その後のスタッフから出されるプランというのは基本というものを熟考している後がよく感じ取れました。また、あの講演でとても安心したのではないかと思います。ああいう立派な先生であっても、家は暮らすためのもので見せるためのものではないとして、基本に忠実でおられる。いたずらに目を引くような工夫などして注目を集めることが、いかに意味のないことかと、私を含め皆があらためて感じたことでしょう。

一方、私は氏の講演の中で別のことが引っ掛かりました。ファンズワース邸は「見せたい住宅」で、グラスハウスは「見せたい住宅」ではない、とおっしゃっていた点です。どちらもガラス貼りの有名な建築物です。私にはどちらも「見せたい住宅」のように思えて、氏の言うその違いがどうにも理解できませんでした。講演が終わったらぜひ質問してみようと思っていたのですが、氏のお話の中身が実に濃く、予定された時間はいっぱいいっぱい。さらに質問者も多くいて、私の方まで順番は回ってきませんでした。それにしても、ファンズワース邸は「見せたい住宅」、グラスハウスは「見せたい住宅」ではない・・どうしてなんだろう・・?今だにモヤモヤした気分。ちゃんと質問したかったなあ。

※注1 中村好文
建築家、家具デザイナーとして活躍。「ジーンズのような流行に左右されない、普段着の定番みたいな住宅や家具が理想」といった居心地のいい住まいを提唱。設計事務所「レミングハウス」主宰。1993年「一連の住宅作品」で第18回吉田五十八賞特別 賞を受賞、また「普段着の住宅術」、「意中の建築(上・下巻)」など数多くの著書もあり幅広く活躍中。

※注2 ファーンズワース邸
1950年米国イリノイ州に完成。外側4周ガラスでできていて20世紀モダンハウスの傑作といわれた。ミース・ファン・デル・ローエの作で「世界でもっとも美しい住宅」と呼ばれている。しかしながらクライアントであるファンズワース婦人は「住みにくい、依頼したものとは大きく違う」と訴え裁判ざたを起こした。ミースはそうしたことが起こり得ることは覚悟の上で自己のデザインの意志を貫徹した確信犯だといわれている。参考画像

※注3 グラスハウス¥1949年にフィリップ・ジョンソンが米国コネチカット州に私邸として建てた、ガラス板を鉄柱のみで支えるモダニズムの傑作といわれる名作。自邸の敷地内にはジョンソンが50年かけて入手した敷地、彼がデザインした14棟の建物、生前蒐集した絵画と彫刻のギャラリーが点在し、グラスハウスには2005年に息を引き取るまで自宅として住み続けた。参考画像