「関係」が、心配だ。
先日、とある方から相談を受けた。
家の修繕を頼みたいのだが誰か業者を知らないか、ということだった。とにかく安く仕上げたいという。そこで馴染みの修繕業者に内容を伝え、見積りをとってもらった。
一方で、やはり今後も何かあった時に対処がしやすいよう、私は、相談者の近隣の修繕業者もあたってみた。電話で話したところ、実直そうでとてもいい方に思えた。昔気質の職人と話しているようで、取次ぎの私がなんだか良い出会いをしたような気持ちになった。
見積は、僅か数千円の差で実直そうな近隣の修繕業者の方が高かった。
しかしながら、信頼に足る人物であったこと、近所なのだから何かと便利であろうという気持ちを伝え、数千円の差などいずれ何らかのかたちで帰って来るからと助言をして、実直そうな近隣の業者をすすめた。
ところが相談者は、とにかく安い方、その一点張りだった。
それってどうなのだろう?と私は思った。遠方の業者は修繕が終わればおそらく何の付き合いもなくなるだろう。実直な近隣の業者であれば、後々気になる所があったら電話一本で来てくれるかもしれない、ちょっとした家の悩みも近所のよしみで気軽に相談にのってくれるかもしれない。そう、「関係」が生まれる。
話は変わるが、テレビのニュースである現職の大臣がスーパーマーケットを視察していた。付き人に囲まれ発砲スチロールに入った生鮮品のパッケージをおもむろに手にして関係者とひと言ふた言会話を交わしたりしていた。ありがちなもんだとぼんやり眺めていたら、その大臣はマイクに向い、国民に、消費者に向けてこうメッセージした。「ちゃんと産地表示を見て、地元でとれたものがあるなら地元のものをちゃんと買ってくださいね。」
どうせあたりさわりのないことを言うだろうとたかをくくっていた私は、その大臣がいいことを言ったので驚いた。近くで採れているのに長旅で新鮮さを欠いた高い野菜を買うなどという行為を、我々は日々行っているわけだ。地のものを地で消費すれば物流が縮小される。無駄 な労力も車も排ガスも保存料も減る。立派なエコロジーの一端である。その土地に生かされているという考えに立って、その土地の恵みを食す。それはかつて当たり前だった、人と自然の性であり、「関係」だ。
日々を点として考えて生きていくことは楽だ。その場限りでよかったり、もう会わなくて済んだり、深刻にならなくて済んだりするからだ。
しかしそのような「関係」を大切にしなくなった社会は、いいことがない。結局、日々の点のような毎日がつながって、線になり、その先が未来なのである。
とりあえず、私は地の人と深く接し、地の物を食すようなことで、「関係」を意識してゆこう。