いい国って、どんな国?

いい国って、どんな国でしょうね?

私は、がんばっている人がそれなりに報われる国、だと思います。
もちろん、がんばることのできない弱い人も世の中にはたくさんいます。そういう人達はそういう人達で、みんなでしっかりと守ってあげたり、できる範囲での役割を与えることができ、社会から疎外されることのないようにできる、そんな国です。がんばれない人達にもがんばる機会はちゃんと来て、そのチャンスは誰でも活かすことができ、やがて報われたら、今度はその報いを誰かに分け与えることのできる、そんな平等感をもった国だと思います。

がんばっていないのに報われている人が多いから、この国は歪んでいます。そういう人達は、その先もずっと、自分が怠けても利益を得られるシステムを作り、それを守っていきます。
事故のあった原発の近くにはたくさんの公共施設が作られています。誰も使う人などいないのに、毎年多大な維持費がかかり、その建設や維持で報いを得ている既得権者が大勢いました。彼らは何もしていない、何一つがんばっていないのに、当たり前のような顔をして贅沢に暮し続けていました。そんな人々がこの国には腐るほどたくさんいます。そういう人達が「原発は100%安全ではないかもしれません」なんて言うわけがありません。
既得権益は時として、人に嘘をつかせ、人の命さえ奪っておきながら、それでもしらばっくれたり他人事のようにできる、解釈を間違うと恐ろしい利権です。人間は生きている以上、自分のためや誰かのために、がんばり続けなければならないと私は思います。がんばることを忘れた既得権者は、もう終わりです。

無用な既得権者の顔色ばかりを観て、しらばっくれたり他人事のようにもできる、そんな人に耐えかねて、私たちはいま本当に正義を実行してくれる人の到来を待っています。理論ばかりで何一つ実行しない人ではなく、有言して実行しようとする人です。変革は、歴史上でいくつも起きてきました。「維新の会」という名称を聞いて、当時の変革を想像した人はたくさんいたことでしょう。

これを読んでいるあなたも、私も、おそらく誰もが。もう、我慢が限界を超えています。