すべてが、ちがう。すべてが、らしい。

コロナ禍が続くなか「テレワーク向け住宅」というものが企画され、販売されています。中には、あまり考えなしに生活導線を「新型コロナ在りき」でつくっているものもあります。玄関を開けて入ると、そこにいきなり脈絡もなく手洗い場が出現するのです。いや、時が時ですからこういう時流を表した商品が出てくることは不思議ではありません。ただ、そこにあるのは「家に入ったらすぐに手が洗えます」ということだけで、家というもののデザイン性とか美学とか、そういう歴史の中で培われてきた家の魅力との折り合いがいっさいありません。「玄関を入ったら、ほら!すぐ手が洗えますよ!いいでしょう!」という、それだけで、何かそこに、それ以上の魅力を生むために頭をひねった形跡が感じられないのです。それだけでなく、テレワーク向け住宅のあらゆる「向け」の部分は、万事が万事そんな手洗い場と似たり寄ったりの発想でつくられているように感じるところがあります。私は、家づくりってそういうものではないのではないか、と思ってしまいます。
ともあれテレワークは世界中で推進されていくのだと思います。それはお客様の声からも感じ取れることです。以前こちらで書いた通り、東京から郊外に移住するという現象はこれから拡大していくのでしょう。東京から湘南の素敵な移住生活を夢見て、エバーを訪れてくださる方も増えてゆくのだと思います。今年は、いざテレワークになっても、家のどこで仕事をしたらいいのかわからない、という人がすごく多かったはずです。思い当たるのはいつも帰ってぼんやりテレビをみるリビングのソファだったりして、大事なミーティングだろうが子供たちが割って入って無邪気にお父さんの邪魔をする、という。今までの概念なら書斎なのかもしれませんが、新しい生活様式のために必要な「ワークプレイス」「ワークピット」のような機能が求められます。小さな子供がいたなら書斎のような密室にこもるわけにもいかないでしょうから、仕事にも集中できつつ家族ともつながれるような感覚が、空間に求められます。
これからの家に求められることをかなえて、かつ家というものがその家族とともにどのような個性を放つことができるのか、エバーには考えなければならないことが数多くあります。そんな中、先日ある方からこんな言葉をいただきました。「エバーの家は、ほんとうに全部ちがう。でも、全部がエバーらしい、と感じる」その言葉はとても励みになりました。