ちゃんとする。ふつうにする。あたりまえにする。
言葉にするととても簡単にできそうなことのようです。けれども、その意味をはき違えている人が多いような気がしています。
小さな子供に「ちゃんと歯を磨きなさいよ」と伝えます。その子は自分なりに一生懸命に磨くようにするでしょう。でもそれ、仕方のないことですが、おそらくちゃんとはできていません。要するに命ぜられたから見様見真似でそうしているだけで、「どうしてちゃんと磨かなければならないのか」の意味がわかっていないのだから、歯磨きがかたちだけになってしまう、それは当然です。
大人の、しかも私たちの仕事の世界にもそういうことがあります。図面に書いてある、その通りにやる。それができていたら、それ以上何かすべきかどうかを考えない。それで完璧にやった気になっている人が結構たくさんいます。そういう現場を私は他所で見てしまうことがあり、他所のことだから口は挟みませんが、至極残念に思います。たとえば、そこに微かな地面の傾斜があったとします。図面だけでは読み取れなかった、ある低い場所のあたりに十数年後に湿気がたまり、素材のへたりが早く進行するかもしれない、という「かもしれない」要素が感じられたとします。リスクかリスクほどまではいかないような、その程度のことかもしれません。それでも何かひと手間を今この場で加えてあげれば、この先何かが変わるかもしれない。少なくともわるくなるようなことはない。「腐食防止のシートを念のために取り付けておこう、大した手間ではないし、そうすることで自分たちにも、先々の施主にも、大きな安心を与えることができる」決定的にその家の将来を左右するほどのことではないかもしれないけれど、その程度のちょっとしたことでも、今しておいてマイナスになるようなことはない。プラスばかりだ。そういうことって図面にそうしろと書かれていないことですが、そのくらいのことをするための想像力や実行力があるのかどうかが、その人のプロとしての仕事の奥行きです。自分の仕事に対するプライドと言ってもいいでしょう。私はそれが、考えて仕事をしている人と何も考えていない人の、能力の境界線であると思います。
ちゃんとした仕事をする人。それは、問題点や改善点を発見しようとするアンテナを常に張っていて、それをきちんと感じられて、ましてや見て見ぬふりなどせず、実行する人のことです。ちゃんとする。ふつうにする。あたりまえにする。経験はもちろんですが、思いやりのような気持ちがとても大切な原動力だと思います。
幸いエバーのスタッフは皆が優秀です。つまりどこが優秀かといえば、言われたことだけをやっていればいい、などと誰ひとり思っていない点です。自分がつくる家へのプライドとか、施主に対しての思いやりの気持ち。皆が毎日のように「これでいいのか?」と自問自答しているのだと思います。