現在の4月10日の時点で、政府は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で収入が減少した世帯に、30万円の現金給付を行うと発表しています。
この施策については批判が多く、その批判の主たるものが「わかりにくい」「スピード感がない」というものです。
「わかりにくい」とは、果たして自分の世帯が給付に該当するのか?、該当するならいくらもらえるのか?、手続きは簡単にできるのか?などの点です。「スピード感がない」とは、実際にはいつもらえるのか?という点です。世の実情を考えたら、今すぐにでも喉から手が出そうなほど現金が欲しい人がたくさんいるのに、それがかなえられそうにない様子です。
ロックダウンが制度的にできない日本は各種事業体に「要請」というかたちで自粛を促しています。数日前に緊急事態宣言が発動され、その度合いが高まりました。要するに「より強力なお願い」です。今回の件は、日本という国がこれからどうなってゆくのかを占うもので、さらに国民ひとりひとりの命にかかわる局面です。だから国も国民もいがみ合うことなく一丸となって戦わなくてはなりません。どっちが悪いとか言っている場合ではありません。
国民である我々は国のリーダーシップを信用して、そのお願いをできる限り守っていかないといけません。とくに今回のお願いというものは、我々の命を守ることが第一の目的なわけですからなおさらです。しかしながら、その「より強力なお願い」を実現するには、今までの生活ができなくなってしまいます。そういうことが起きた時のためにも、自分たち国民が、自分たち国民を支えていくために行ってきていることが納税です。つまり、税金というものは、一部の国民のためにあるものではなく、国民全体が所有しているものです。
以上、わかりきったことで恐縮ですが、あらためて、税金とはそうしたものです。
そうした税金というものの実態と、今回の事象を絡めて考えていくと、私は、まず国民全体に、ざっくりと一律でいいから、すぐにでも(これが重要です)生活救済のための給付を行った方が良かったのではないか、と思っています。納税義務は富める人も貧しい人も平等に背負っているものだから、貧しい人だけを対象にする、という行為は不平等に見えます。第一、全員給付の方がスピードがあるから、明日のお金に困っている人に速く届けることができます。そして、それでもカバーできない部分を、さらなるかたちで救済していければいいのだと、私は思います。
ねずみ小僧の逸話があります。武家屋敷だけを狙い、盗んだ金銭を貧乏人の家に投げ込むという、まさに庶民のヒーローのような人物です。江戸時代に実在した大泥棒がモデルの逸話ですが、私は今回のことでそのねずみ小僧を思い出しました。その話の一部分だけを見るとなんと痛快な人物なのだろうと思いますが、その行為自体はエゴの塊です。どこに金を投げ込むかは彼の腹づもりひとつなのですから。