世の中は、正解のないものばかりです。正解のないものの固まり、それが世の中です。良心とか、誠実さとはあって然るべきものの、しかし、こうすることが良心である、と言えるものさえ、移り変わってゆくものです。そういう意味で言えば、永遠に「こうあるべき」というものなんて、世の中にはないのです。私たちは、そんな世の中に生きています。
日本人は国民健康保険に加入できます。一方、自由を尊重する国であるアメリカでは、そのような国民皆保険がありません。しかしながら、今、その必要性が論じられています。賛成するアメリカ人も、反対するアメリカ人もいます。賛成派というのは、日本人と同様に、日々の生活に安心が得られることにメリットを感じています。安心して病気やケガができるわけですから。アメリカの医療費というのは高額です。救急車を呼ぶのだって高いお金がかかります。そんなことはもう止めよう、と言っているわけです。
一方、反対派というのは得てしてアメリカという国の国民性、つまり全てにおいて個人は自由であることを重要に感じています。我々は自由の国に生きている、何かあった時の判断だって個々に任せておけばいいのだ、現に我々は今までそれでやってきたじゃないか?という考えです。
どちらがいいのだろう?と考えた時に、私たちは、なんとなく、慣れ親しんだこともあってか、やっぱり国民皆保険の方がいいのだと思います。明日からいきなり救急車を呼ぶのにお金がかかります、なんて言われたたら、困ってしまいますから。「国民皆保険の方が、やっぱり正解だよ」そういう結論になるかもしれません。
ところが、アメリカ人は、日本人に比べて、平均的に健康志向です。一部の不摂生な人は双方にもいるにせよ、ジムに通って体を鍛えたり、食への安全を執拗に考えたり、家庭での薬の常備などは、日本人に比べてアメリカ人の方が、相対的に意識が高いです。どうしてでしょう?答えは簡単です。病気になれば高くつくからです。病気にならないようにするには、一人ひとりが一人ひとりの判断と責任において管理していかなければならないからです。日頃から病気にならないように努力を怠らない、それは国民皆保険ではないアメリカ人の方が意識が高いのです。
予防する意識が高いことはいいことです。しかし、仮に、アメリカが国民皆保険を選択したら、きっとその大切な予防意識は薄れてしまうでしょう。病気になっても今までと違って安く済むのだから、油断するのは当たり前です。すなわち、アメリカ人の体は、国民皆保険を選択したら、今より弱くなるのです。
日本ではこんな笑い噺があります・・・病院の待合室での常連のおばあちゃんたちの会話「あれ、今日はウメさんは来ないのかねえ?」「さて、どっか具合でもわるいんじゃないかい?」日本が国民皆保険の国でなかったら、病院がまだまだ元気そうなお年寄りのサロンと化すことはなかったのでしょうね(笑)。
そう、正解はどちらでもない、ということです。
正解のない世界で、私たちはなるべく正解(のようなもの)を探しながら生きていかなければなりません。
ところで、エバーの代表である私が、いま欲しい正解というものがあります。それは、今後、エバーがどのようなお客様に真から望まれていくのか、それを知ることです。そこから、エバーとしての正しい未来が見えてくるのだと思っています。自問自答の日々は続いています。
しかしですね、悩んだ末の結論というのは、いつもただ一つ「やってみるしかない」・・・うーん、何と単純なことか。でも本当にそのようです。だって、元々正解のない世の中。考えて、考えて、考え疲れて、もう考えることがなくなった頃、「よし、そろそろ行くか!」と一歩を踏み出す、それしかないでしょう。
さあ、今日もそろそろ一歩を踏み出す時間です。間違えたら、責任は取ります。他人のせいにはしませんから、ご安心ください。