エバーにリピートしてくださる理由。

茅ヶ崎駅前「鮨と酒 静」の新装開店に際してバックアップさせていただいております。その中でうれしく感じたことがありました。皆さん、よくある建築関係の社長にありがちな(笑)道楽のような上ついた感覚で私が「静」に尽力しているわけではない、と実感なさってくれていることです。

とかく鮨屋というのは一流であるほど酒に力をいれていないことを、皆さん実感されていることと思います。それは一様に、うちには鮨を食いに来てくれればそれでいい、という自信の表れなのですが、それもわかります。ただ、鮨だけでなく日本料理にも精通している「静」の大将だけに、それに合う一流の日本酒を供する、ということにも手が抜けないのです。握りや料理の腕はさることながら、訪れた人は「ここにこんな銘柄があるとは」と二ヤリとしてくださるようです。日本酒をご存知のお客様は「セレクトのセンスが素晴らしい」と感じてくださるようです。そういう噂は私とは関係のないところで広がって行っているので、大将の力に感服すると共に、私もうれしく思っています。

大将は握りは当然のことながら、全ての裏方の仕込みについても一切手を抜きません。そうした手仕事の素晴らしさは、決して自慢したりひけらかしたりするものではないと大将は思っています。わかる人にわかればいい、と粋を貫くことが粋なのだと。やたらと大袈裟な口上を述べる店もありますが、そういうのは野暮ですから。大事なことだけひと言ふた言、申し上げればいい。そういうものです。

ものを作る仕事の理想は手仕事でしょう。大量生産品には大量生産品なりのいいところがありますが、一つ一つ作っていくものには大量生産品にはない魅力があります。どちらを選ぶのかは人それぞれのこだわりがあります。それに、その時々でどちらを選ぶのかも人それぞれです。家をつくる時も、全てを手仕事にしたい人もいれば、全て大量生産品でいいという人もいるでしょう。どちらも間違いではないと思います。そして、たいていはその間のさじ加減がどれくらいかということでしょうね。ここは絶対にこだわりたい、だけどこういうところは量産品でかまわない、と、そういうさじ加減です。前回のコラムでも申し上げた通り、良いものを求めたら値段は高くなってしまうというのは原理なので、そのバランスはその人の経済状況にも大きく左右されます。制約の中でどれだけ手仕事のような味のある箇所を手に入れることができるか、家づくりとは常にそういうものです。

かつての住宅というのは非常にわかりやすかったのだと思います。今ほど量産品が豊かでなく、手仕事の度合いが表面に出ていました。ああ、ずいぶんと凝った家だ。あちらの家もこだわりを感じるけれど、こっちと比べると割り切った部分が多いな。そんな感じで。それに比べると今は大量生産品の使い分けが容易なので、どのお宅もそこそこ素敵に見えるし、その反面、画一的にもなってしまいました。

幸いなことに、エバーで家を建てたことのあるお施主様は、次にまた家を建てる機会になっても、エバーを選択してくださいます。その理由の一つは、いちどお願いしたのだから頼みやすいし安心できる、というのがまずあるでしょう。しかし肝心なのはそこではなく、エバーの家づくりに一度触れ、その時に感じた融通の良さとか、合理性とか、足し算や引き算の明解さのような姿勢が印象として残っていて、そのことで再度ご依頼くださるのだと思います。経済的なバランスの中で、どこを優先するか、そのためにどの部分のコストをスリムにしていくか、なおかつ全体としての満足度を下げない努力を、一度は身をもって感じてくださっているからなのだと思います。