今の場所で、今の自分に求められていること。

先日、前途有望の若い同業者と話をしました。彼は転職をしてかねてから望んでいたジャンルに進み、その中でも一流といえるブランドに属して、その能力を発揮しようとしています。

これまでと変わって、彼は「一流ブランド」という重みを背負って、一流のお客様を相手にしています。そんな彼が、先日ぽつりと私に言いました。「お金もってる人って、結局なんでもいいのかなあ…」要するに、彼はいま張り合いを無くしているのです。かつての会社で奮闘した、お客様のライフスタイルを実現する苦悩とか、お客様と一緒になって創り上げていく喜びとか、時にはアクロバティックな発想とか、そういうものが今は必要とされないように感じる、と。その張り合いの無さが、そう呟かせました。彼にとって、以前の、お施主様と共に切磋琢磨する家づくりというスタイルが、とても有意義に思えたのでしょう。

「お金もってる人って、結局なんでもいいのかなあ」…私は「それは違う」ときっぱりと答えました。能力のある人物だけに、それは決して今後も履き違えてはいけないと思い、それからできるだけ丁寧に諭したつもりです。

私は言いました。「一流ブランドと呼ばれるスーツメーカーで、お客様と一緒の目線になって仕立てるようなテーラーが、どこにある? 一流ブランドと呼ばれるレストランで、客を厨房に入れて好みの味付けをさせる店が、どこにある?お客様にそんなことをさせなくても、お客様の求めるサイズやセンスを熟知しているテーラーを、一流って言うんだよ。お客様の好みの微妙な塩加減を熟知しているレストランを、さらにはお客様のその日の体調や天気なんかも計算して塩加減を微妙に変えるレストランを、一流って言うんだよ。お客様から絶対の信頼を得て、お客様が何も言わなくても、お客様が欲しているものを間違いなく提供できるところを、一流ブランドって言うんだよ」

ハリウッドのスターは、一流のレストランで専属のサービスがつきます。エルメスに通い慣れた人は、お店に来た時点で余計なことを悩まないですみます。一流のブランドに勤めるということは、いちいちお客様の要望を言葉で聞かなくとも理解できていなければならないのです。自分のスタイルが確立している一流の人達に、いちいち言葉で伝える負担や、ストレスを感じさせてはならないのです。

彼は「一流ブランド」に属したことの、その重い重い責任感というものを、まだ心底から肌身に感じていないように思えました。お客様が一流ブランドに求めていることの真髄を、これから理解していくのだと思います。一流ブランドとお客様の距離感、あるいは密接感と、以前彼が属した会社のそれとは、種類が異なるものであるということを、認識して欲しいと思いました。

確かに、一流ブランドにやって来る人って、さほどこだわりがない、ように見えます。しかし、それは誤りです。一流ブランドに行ける人は、一流を保つために、日頃から労力を使っています。言わば、その分の見返りを求めてもいい努力をしているので、極端に言えば、簡単な一言で理解してくれるようなところに行くのです。こだわりがないのではなく、持っているこだわりも含めて全て、相手のことを任せられる人だと信用し、託すのです。その信じる思いは絶大なものです。だからこそ「一流ブランド」は、万に一つであっても、その信頼を裏切ってはならないのです。

一流のブランドに属するということ。そこでは「普通ではない」努力が求められます。

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