はたしてこの件はパワハラか否か?

ハラスメントは、仕事をしている人の全てが意識すべき問題です。おこなった人は罰せられます。だからなおさら、ハラスメントされた側も感情論ではない冷静な被害意識というものが必要だと思います。

先日、あるテレビ番組の女性プロデューサーが、男性のニュースキャスターからパワーハラスメントを受けたとして糾弾された、という件がありました。番組の収録後に突然に意見してきた女性プロデューサーと議論になり、その時に男性ニュースキャスターが近くにある壁を威圧的に叩いたということで、そのことに憤慨しているようです。事実は、ニュースキャスターは威嚇のために壁を叩いたのではなく、そこは狭い通路で自然に壁に手をついて体を支えていたらしかったです。数人のスタッフがそこにいたので壁ドンのような威圧的な態度は何もしていないと立証できるということでした。その事実を捻じ曲げて某週刊誌が報道したらしいです。

それが嘘であれ誇張であれ、報道をされると、女性プロデューサーの側に立つ意見が多くなります。「女性の味方」を決め込んだ方がいいという判断も入ってきます。しかし、その男性ニュースキャスターが言っているように、どう考えても社会的な立場は女性プロデューサーの方が上です。ニュースキャスターなんてただのタレント、出入り業者のようなものでしょう。そのような関係性になぜパワハラという事案が発生するか、当時の状況と含めて考えても矛盾を感じます。立場の低い者から高い者へパワハラが行われる、という矛盾した上下関係に「え、なんでこれがパワハラなの?」と思ってしまいます。

察するに、そこには、パワハラということだけではない要素が含まれている気がします。女性プロデューサーが女性であるが故に感じた、女性という守られるべきスタンスへの冒瀆である、という、パワハラとは一線を画した感覚が世に蔓延されると思うのです。「この男はパワハラをした。こともあろうに仲間の女性に」というような、「女性に対して」という感情が上乗せされているようなら、その上乗せはこのケースの場合は必要がない感覚だと思います。

権力者が下位にある者に対して行うものがパワハラです。権力構造を悪用した嫌がらせの事実があるかどうかが重要です。単に「傷ついた私は悪くない。傷つけたのだからあいつが悪い。」というだけでは成立は難しく、権力構造を悪用したかどうかが鍵になります。感情的な衝突だけでパワハラだなんて叫ばれてしまったら、世の中は収拾がつきません。

そもそも、仮にそのニュースキャスターが本当に威圧的な壁ドンをしていたとしても、権力者が非権力者に対して行うパワーハラスメントという図式はここには存在していません。この件はむしろその逆なんですね。強者側が弱者側に意見をして、弱者が反論したらパワハラだと言われた、という真逆の構造です。それが何とももやもやします。

当の女性プロデューサーさんは、この騒ぎを今どう思っているのでしょう?話が大きくなりすぎて当惑しているのだとすれば、沈黙を貫くよりも、報道の誇張を取り除いた声明をしてすっきりしたいのではないでしょうか。両者の友好を取り戻すために、私は個人的にそうであって欲しいと思っています。