ブレる男でよかった。

「ブレない男」なんていうキャッチフレーズのカッコいいCMがあったように記憶しています。ブレない生き方の指南本も売れているようです。かたや押しも押されぬアラヒィフである今の自分の歴史を振り返ってみると、よくもまあこれだけ頻繁にブレてきたもんだ、と逆に感心してしまうような人生です。しかし、それはわるくない、イヤむしろ良かった、と思っているのです。私の場合は「ブレる男でよかった」。あっちこっちに揺れることで成長していったように思います。

考えてみたらば、CMに出てくるような目つきの鋭いブレない男は、最初から信念が正しく出来上がっていた完璧な人間像でした。だからブレないことがカッコいい。しかしそんな人間は希です。最初からでき上がっている人間なんてそんなにいるものじゃない。人はだいたいにおいて、誰かの影響を受けて価値観を変えたり、信じていたものに疑問を持ったり、そういったことを繰り返しながら変わっていった方が良いのではないか、と思います。むしろブレることができない人間は、成長できないのかもしれません。

私の場合、かつては自分と似たタイプの人間が、今よりも多く周囲にいました。類は友を呼ぶのでしょう。そして、私は、自分に似たタイプのその相手を見続けることが苦痛でした。彼らの属性は明確で、主としてビジネスにおいて、良い点も悪い点も含めてブレない人です。そんな人達のことを、私は、まるで鏡に映る自分を見るように嫌悪していました。自分と同じ目的で、自分と同じような価値観を持った人々だから、理解できたし共感することももちろんありました。ビジネスの付き合いだからそれも当たり前のことじゃないか、とも思っていました。
しかし、いかんせんその交流には、大切な何かが常に欠けていることを、いつしか感じてしまうようになりました。それは、ビジネスだからとごまかしてはいけない大切なものが欠けていました。そして、やがて私の中で、彼らと私との決定的な違いを感じるようになりました。

彼らは、自分自身について間違いは何もないと信じています。ブレがないのです。そして私の方は、彼らが持っていない何かが、自分にも欠けているのではないか、と、心配して、そのことでどんどんブレていく人間です。そうなったら、ブレることができる自分の方からしか、遠ざかることができません。仕方がないことでした。彼らはブレないのですから、それ以外の道は探す必要がないのです。途中で道を曲がることができるのは、私の方だけなのです。

ブレない人。ブレる人。どちらが幸せなのでしょう?かつての私は、ブレない男への憧れもあったように思います。でも、今は、ブレてきて良かった、と振り返って思います。それが、私が「学んだ」ということだと思います。結論から言えば幸せだったはずです。今後の私の人生はきっと、心地の良い人間関係へと、さらに幸福な方向へとブレていくと思うのです。

まあ社長業である以上、頭の中の割合は相当な比率で、ビジネスという利益創出に費やされている、それは間違いないでしょう。そこに大切な人間性を求めることは、甚だ難しいことです。それでも私は、心ある人々と、続いてゆく関係を育んでいこう、と考えています。

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