ユッケ食中毒事件から浮かび上がる課題

今回のユッケ食中毒事件で、私は初めて、牛肉に生食用がないことを知りました。同様に知らなかった人は多いのではないでしょうか。とても驚きました。生食用は存在しない、なのに私はこれまで何度もユッケを食べてきた。疑いもせず、大丈夫なものだと信じてきました。幸い私の場合は、ユッケ等の生は馴染みの店でしか頼まないのでさして不安はありませんでしたが、今回の一件であの店に心当たりのある方は、さぞや冷や汗をかかれたことでしょう。

料理には見極めや手間ひまが不可欠です。ましてや鮮度が命の生ものであれば、素材の扱いを熟知していなければ話になりません。味を預かるということは、生ものの場合、すなわち客の命まで預かります。誰もが務まるわけではありません。

生の肉を扱うのです、ユッケにしても、出す側には客の命を預かる覚悟が必要だったのでした。しかし残念ながらそれはなかったし、私たちもまた大丈夫とたかをくくっていました。これからは、焼肉屋にも二通りがあることを自覚しないといけません。一つは、生ものを正く扱える料理人のいる店と、もう一つは、生ものは頼んではいけない、命を預けてはいけない店です。

おそらく大半の焼肉店が、生ものを正く扱える料理人のいる店だったのだと思います。それを今回の不祥事が台無しにしてしまいました。企画に頼り「290円」などという金額を打ち出したものの、蓋をあければコストカットしたのはあろうことか衛生管理でした。
これは私見ですが、焼肉店に関わらず、どこの業界においても、企画に依存しがちな営業出身の経営者というのは、まあ、ろくなことを考えませんな。※注・・・中にはまともな社長さんもいますが。

覚えていらっしゃるでしょうか、数年前にありました、建築業界における耐震偽装問題というのが。
あの時もやはり、一部の心ない同業者の私利私欲が、業界全体の信頼を失墜させました。そしてあげくの果てが法規制です。国は責任を取りたくはないので、何かことが起きると法を規制します。
しっかりやってきた大半の人間にとっては、余計な手続きが増えるばかりで、いいことなどありはしません。今回の一件も、日本の生食文化全体を規制するような、真摯に仕事をしてきた人間の足かせになるような、そういったセンスのない結末にはしてほしくないと思っています。