リーダーの資格。

韓国船の沈没事故の新たなニュースが流されるたびに、悲しい思いがあふれ、胸が痛みます。事故を取り巻くあらゆる関係機関の対策のずさんさが、あれだけ多くの人を死なせてしまいました。船内では、船長の不適切な状況判断に、この悲劇がまさに人災であることを知らされます。船長は、その命を船とともにする、と言います。沈みゆく船であるなら、乗客や乗組員の安全を見届けるまで、最後までそこに居留まるのが仕事であると言います。それは社会全般においても上に立つ者の自然です。
それにしても今回の事故には疑問が残ります。船長は絶対権限であったにしても、乗組員を含む内部で議論の余地はなかったのでしょうか?考えうる限りの最善策を導き出す努力はされなかったのでしょうか? あれほど誤った判断が暴走したことに「どうしてこんなことになってしまったんだ?」と、首をかしげてしまいます。

「リーダーの資格がない者がリーダーをやってはならない」このことは間違いなく明白です。最終的にリーダーが行う最大の仕事、それは「任せられることは仲間に任せ、その責任を自分が取る」ことです。そのことを実践できない者は、リーダーをやる資格はありません。それはエバーの社内においてももちろん適合されています。それがあって初めて、スタッフは自由に発想することができます。そしてお客様を喜ばすことができます。常にそれが順調であるなら、それにこしたことはありません。
しかし万が一、お客様に不利益を与えてしまった場合、そのことに対して責任を取るのは、担当のスタッフではなく、長である私になります。長がそのスタッフに仕事を任せて、それで良いと判を押して、それで起こったトラブルなのだから、それは長の責任です。

長が長たる仕事をしない会社は、すなわち、スタッフのやることに社長が責任を取らない会社は、スタッフの一人ひとりが縮こまって、必要最小限のことしかしなくなってしまいます。そのうちに皆が、命令されたことしかしない会社になってしまいます。勘違いしている長は、命令することが自分の仕事であると思っています。

あの韓国船の中で、乗組員は積極的な議論を行えていたのでしょうか?船長はちゃんと聞く耳を持っていたのでしょうか?ロボットのように命令に従うだけの風潮だったとしたら、それでは被害者があまりにも浮かばれません。

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