食事に出かけると、そこにはメニュータブレットがあり、「ご注文はこちらでお願いいたします」と言われます。もうすでにそれが普通のことのように感じます。決してお客に対して失礼なことではないし、かえって余計なコミュニケーションをしなくて済む分だけ楽に思えたりもします。
しかしそれは全ての飲食店が取り入れることのできるシステムではないでしょう。それができるのはサービスへの対価が低めのお店だけに限られます。サービスへの対価が一定量発生する、たとえば一流店では、タブレットを用いて効率化や人材削減を安易にしてはいけないところが多いと思います。そこには、一流というプライドをもつ料理人やスタッフがおり、彼らがつくり出す技術や所作に価値があり、そこに対価が発生するからです。
だいぶ前のコラムになりますが、その日のお客のコンディションをスタッフが見極め、それを聞いた料理人が微妙な調節をほどこす店の話をしました。その客の様子から「今日は少しお疲れだな」と感じて、それを聞いた料理人が普段より胃の負担の少ない味付けをほどこしました。それは別に誰かから指示されているわけではありません。愛情とか思いやりとかがなせる業です。
タブレットで注文するシステムのお店にそのようなことを求めるというのは違います。しかし、タブレットが店とお客との距離をよりいっそう遠くしてしまうのは明白です。
今まで当たり前ではなかったことが、いつしか当たり前になってしまうことは、とても恐い気もします。今まではどのようなお店であっても、相手がどのような気持ちであるか表情や態度で感じ合うことはとても大切でした。それがどんどん省かれていくと、人はどんどん心の伝達が鈍くなってしまうでしょう。
上手くなりたい。一番になりたい。一流になりたい。そういった憧れの感情は、人間にとって非常に大切なものです。そのことを身をもって感じ、学ぶことができるのは、人に出会い、人を見て、初めてできることだと思います。そういったことが効率化や人件費の削減などで無くなっていくことは、決して喜ばしい状況とは思えないと感じます。