今、この時に想う疑問と覚悟

一つ。
やるべきことを後回しにして、増税の議論が先行している。私は一概に増税には反対していない。しかし、それはばらまき3K等の問題も含めて、復興の足かせとなる過去の政策にけじめをつけてからの話。「日本の、東北の、復興のために」と綺麗事を並べて増税を国民に強いるのは、ひどい矛盾ではないか?

一つ。
被災者住宅を高台に移す計画に際し、国が定めた補助金は一戸当たりわずか1650万円だという。山を切り崩し、土地をならし、道路を作り、インフラを整備して、いったい幾らかかると思っているのか。まったく現実的ではない数字である。また、移転は住民全員の同意があって初めて成立する。そんな全員一致で採決できる町なんてあるのか?あらゆる面で現実的でない。いつ被災者に心の平穏は訪れる?

一つ。
放射線の暫定基準値とは、なぜ「暫定」などとあやふやなのか。それは過去に参考になるデータがないからだ。このくらいの放射線を浴びれば何パーセントの確率で人体にどのような具体的悪影響がおよぶのか、誰もわからないからだ。将来に誰ひとり責任をとることができないのが実情なのに、どうして「ここまでなら大丈夫」と無責任なことが言える?「そんなこと私にはわからない!わからないのだからこうすべき!」と真向から筋を通す、気概のある政治家はいない?

一つ。
弱者は一刻も早く守られなければならない。それなのに、我々が託したお金はなぜいまだに止まっている?人を助けることはお金を渡すことだけではない。魚の釣り方だって教えてあげる、そこまで考えてこその救済である。それなのに、なぜまだそんなところでこの国はつまづいている?弱者でなく、怠け者の言い分ばかりを守ってどうする?

一つ。
茅ヶ崎の話。今年の浜降祭は、東北のことを考慮し、甚句や鈴鳴らしを自粛し、なるべく静かに行うのであるという。そもそも祭りとは何だ?実りに感謝し、災い無かれと祈る、それが祭りであろう?意気揚々とし、未来を活気づけ、発展へとつなげるものである。それをどうして東北を考慮する?第一、東北の人がこれを聞いたら、むしろ申し訳ないと思うのではないか?

今の世の中、全ての意見をおさまりよく結論づけることは至難の業です。
しかし、雑多な意見をそのままにしてしまうから、何もかもが本筋がぼやけ、おかしな結論に着地します。必要なのは、自らが泥をかぶって前に進むような、リーダーの存在です。
覚悟を決めた人であれば、きっと、我々はついて行くと思うのです。