悪質な食品の使いまわしが浮き彫りになり、船場吉兆がついに倒産しました。
その会見で例の名物おかみが、ずいぶんおかしなことを言っていましたね。「暖簾にあぐらをかいてしまった」これを聞いて、ふだんの口うるさいキャスターやコメンテーターが誰ひとりとして言葉の使い方の誤りを指摘しなかったのが不思議でした。そもそも「暖簾にあぐらをかく」とは、伝統や習慣に頼りきって努力を怠ることをいいます。他の客の残した刺身を別 の客に出すなどは、暖簾にあぐらをかくとか、かかないとかいったこととは全く無関係です。おまけに「もったいないという気持ちがはたらきまして、つい」的なことまで言う始末。もったいないから、つい、同じものを他の客に出されては、出された客はたまったものではありません。美意識の悪用とでも言いましょうか、「もったいない」という言葉をそんな風に汚してはいけません。言い訳がましいにも程があります。
完璧な人間はいません。誰だって過ちを犯します。私は過ち自体をさして非難しません。その過ちを本人が受け入れていないところを見て指摘し、注意します。なぜその過ちが起きたのか分析できていなかったり、ただぼーっと反省しているだけなら、再びミスは起きるからです。もってのほかなのは言い訳です。前述のおかみではありませんが、自己弁護をしているうちは自らのミスを認めていないのといっしょです。
ミスをしないようにするにはどうすればよいか。
相手がまっとうであるなら、これだけを伝えれば十分です。「ひとつひとつのことを確実に行いなさい」。現場の人間なら、一本一本のクギを、ていねいに、しっかりと、打ちなさい。寸法通 りに、ていねいに、まっすぐに、切りなさい。ていねいに、ちゃんと、を心掛けていれば、その家は自然と美しい家になるものだ、と言います。人はよく実力や身の丈に合わない大きなことを考えてしまうもので、本当にやらなければならないことはないがしろにしてしまいます。それが、たいていのミスの原因です。大それたことなど考えずに、今の自分がしっかりやらなければならないことを、確実にこなしていれば、まずはそれでいいんです。
大きなことなど考えず、今すべきことをちゃんとする。
私の場合はあまり大きなことを考えたことがないのでさほど心配はいりません。「すべきこと」を誤りなく見い出すのは、得意とするところかもしれません。今は、昨年入ったスタッフもようやく仕事に馴れ、新たな営業スタッフもバリバリ頑張っているし、設計の新戦力も加わった、そんな安定した社内環境です。私も余裕をもって会社を俯瞰できるようになっています。背中の荷物を安心してスタッフに預けられるようになった今「さあ、私は今日何をしよう」と日々考えることが多くなりました。わるくないです。
「そういえば、最近、欲しいものがなくなった」先日、小川直也さんと雑談していて、こんなことで共感し失笑しました。この文章が出る頃には、私もついに40歳です。若い頃はそれなりにあった物欲も、どうしたわけかそれほど強くありません。それでも若い頃以上に仕事に精力的なのは、いったい何が私を突き動かしているのだろうか、などと不思議に思ったりもします。設計や接客に忙しく動き回り、手が空いたら植木を世話したり、掃除に精を出したり、訪れるお客様に見える部分で良い気持ちになってもらいたい一心です。それが、今すべきことをちゃんとする、ということなのでしょう。それが、今の自分の在り方なのでしょう。