仕事が一流な人は、心も一流です。

 昔にくらべると、今の立派だと思える人はみな謙虚で、見ていて気持ちがいい、と感じます。スポーツ選手などがその最たる例ですね。先日のテニスの大坂なおみさんの、年下の敗者を気遣う姿勢に心が打たれました。女子ゴルフの渋野日向子さんのファンサービス、頭が下がります。バスケの八村塁くん、渡邊雄太くん、奢りのない姿勢が彼等をNBAまで届けたのだと思います。みな世界のスポーツ界の頂点にいながら、謙虚です。偉ぶることがありません。

それに比べると、かつての一流といわれたスポーツ選手はもっと天狗だった人が目立ちました。「すごいのかもしれないけれど、なんかこの人、鼻につくなあ」と思ったものです。それでよかった時代なのでしょう。でも今は違います。一流の仕事をする人は、その人格も含めて一流であることが必要です。

これはトップのアスリートだけに課されているものではありません。私たち皆に課されているのだと思います。

仕事をしていて、ああ、この人とは話ができない、と思う人がいます。その人は、人の話を聞いて、自分の意見との折り合いをつけることができません。その人は、きっと、自分が正しいのにどうしてこの人はわかってくれないのか?と、その一点張りで議論をします。否、そうなってくると議論というより押し付けです。「私はあなたと違ってこういう意見を持っていますよ」と語りかけても、「いやそうじゃない、あなたは間違っていて、私の方が正しい」と返されるばかりです。そうなると、もう話し合いは堂々巡りになるだけ。今後その人と仕事をすることがストレスになってしまいます。自然と周囲の人々はみな遠ざかってしまいます。その人のまわりに残るのは、その人にとって気持ちのよいイエスマンだけになります。

他人の意見を素直に聞き、周囲を尊重し、いつでも謙虚で、その上で自分らしさを発揮できる人でないと、周囲に人は集まってこない時代です。そういう人が初めて一流になる資格がある時代です。

私くらいの年齢になってくると、どうしても周囲に年下が多くなり、同年代で今更そういうことを言い合うこともなくなるので、駄目なところを指摘してくれる人もいなくなってくるものです。なので、人の振りみて我が身を正す、そのことに日々気を付けながら生きている今日この頃です。