私にとっての毎日の就業時間とは、仕事が終わるまで、です。その日の仕事が終わるまで、夜遅くなろうと仕事をします。早く仕事が終わる日は、エバーの定時刻になったら仕事を止めます。私の周りには仕事が好きな人が多いので、そういう「仕事が終わるまでが就業時間」という人が多くいます。
しかしながら、今の世の中はそうは単純化できません。労働は時間単位で算出されるものであったり、労働基準法という法律があったりするので、「仕事が終わるまでが就業時間」という考えを他人に押し付けることはできません。仕事が終わろうが残ろうが定時刻になったら仕事は終わり、という取り決めをしている人もいれば、残業代の出ない残業は決してしないという人もいて、そのどれもが間違いではありません。それに、個人の意志や契約を無視すると、どこかから簡単に「ブラック企業」などと呼ばれてしまいます。恐ろしいです。
ただ言えることは、私の周囲の「仕事が終わるまでが就業時間」感覚の人は、皆、楽しそうに働いているということです。仕事が、人生の大きな生きがいになっているからです。逆に考えると、今までつまらなかった仕事が楽しくなってくると、「仕事が終わるまでが就業時間」人間に変わってゆくような気がします。
では、つまらなかった仕事が、いつ、楽しくなったのか?それは、仕事の面白味がわかった瞬間なんだと思います。コツがつかめた、とか、相手が喜んでくれた、とか、そういったことです。
私が子供の頃は、町は、仕事をしている人でいっぱいでした。駅には切符を切る人が改札にいました。ジュースはお店屋さんでおばちゃんから買いました。大人はたばこ屋さんでたばこを買っていました。工事現場にはもっとたくさんの人がいたように思います。生き生きと働いている人もいれば、つまらなそうに働いている人もいましたが、それでも、今よりたくさん、町には働いている人がいました。
多くの人から仕事を奪ってしまったもの、それは機械とかシステムといったものです。機械とかシステムが発達したおかげで、人には仕事がなくなってしまいました。とくに単純作業、と呼ばれていたものは、機械の発達のかっこうの餌食となり、人から仕事を奪いました。単純作業であったって、そこに仕事の面白味を感じていた人はたくさんいたんだと思います。仕事の面白味自体が、昔と今では、全然量が違ってしましました。
そんな中で、今、仕事の面白味を感じることができる人間というのは、幸せな人間ですね。
ビジネス社会の中で、一番必要な層というのが、そんな、仕事の面白味を感じることができる人間だと、私は思うのです。それなのに、世の中は発達してゆくたびに、その層の居場所をついばんでしまっているような気がします。
現に今でも、会社を仕切る役員と、その下には臨時のバイト君さえが居れば成り立ってしまうような、コアの部分が欠けた企業というのもたくさんありますから。
そんな働く人の二極化のようなものは、その真ん中にいるはずの「仕事が終わるまでが就業時間」な人をどんどん除外していくようで、ひどく空しいものだと感じます。