社員旅行に行ってきました。前回の海外への社員旅行とは趣が異なり、今回は国内。京都と大阪に出かけましたが、慌ただしかったのは変わりありませんでした。まず京都に入り、寺社などを見学してその後大阪に行き、一泊して帰路へ。かなりの弾丸ツアーでした。
京都では東本願寺を見学しました。堀川七条にある西本願寺と相対する東本願寺、通称「おひがしさん」。西本願寺に比べると華やかさは一歩劣りますが、質実剛健でどっしりとした安定感は素晴らしいものです。建築に携わるものとしての目線でみると、やはり細部に至るまで感心させられます。そして、こういったものを成し遂げてきた先達に尊敬の念を抱きます。だってそうですよね、今なら電話一本でコンクリを必要なだけ運んでもらってダーッと流し込めばできてしまうものを、何十人、何百人という人々が大きな石をいくつもいくつも運んで積んだわけです。今なら業者にピッと電話して「何を何本ね」と頼めば済む柱材を、信州の山奥から切り出して、大勢の人々が何日もかけて運んできたわけです。トラックで、じゃないですよ。清水寺だってそうです、楽をしようと思ったらもっと平な場所につくればいい。「清水の舞台」で知られる本堂なんて、崖の上に確か139本だったかのケヤキの柱で支えられています。懸造(かけづくり)と言われる建築技法で、釘を一切使っていません。想像を絶します。
そんな昔に比べて、今は電話でパパッと、ネットでパパッと。まあ楽なこと。
ところで、私は幸いなことに、子供の頃から、ていねいな仕事を理解する感覚がありました。小さなタイルを一つずつていねいに貼った面など、見ていて惚れぼれしたものです。そこには、便利なタイル調のパネルの類には出すことのできない物語があります。どんなにリアルなパネルであっても表現することのできない美しさがあります。その頃はそんな大層なことは考えませんでしたが、幼い心に、作り手の魂が響いていたのだと思います。それは美学となって今の私に続いています。
悠久の労苦の賜物を目の当たりにして後、自分の仕事に帰って、思いました。ああ、日々私が悩んでいることなんて、どんなにか小さなことなのだろうかと。ストレス?昔の人のことを思えば、何がストレスなんだ?と。どうせ悩むのなら、もっと大きなことで、悩んで、力を注ぐようにならないといけない、と目を覚ました次第です。「魂のこもったもの」つくっていかないといけません。