勝手したいのなら中途半端な強者になるべからず。

パワーハラスメントについて。狭い世界で生きていることの怖さというものを、最近よく感じます。相手の気持ちを考えずに言いたいことを言い放ってしまう傲慢さ。それが通じない時に起こす子供のような癇癪。まさに子供だと、見ていて思います。どうしてそうなってしまったのか。それは、その人がイエスマンに囲まれてしまっているからです。お山の大将だから、日常の中で誰も彼を止めることはなく、むしろ正しかろうが誤っていようが「さすがうちの大将だ。その通り。」と周囲が持ち上げ続けます。

どうしてそうなってしまうのか。それはお山の大将が取り巻きにとって「強い存在」であり、取り巻きはお山の大将に守ってもらわなければ生きていけない「弱い存在」という構図になっているからです。取り巻きは他者にやりこめられたら大将に泣きつきます。「それは黙っちゃいられねえ!」とばかりに大将は復讐に向かいます。「これからも困ったことがあったら俺が助けてやるからな!」「さすがうちの大将だ!」。この主従関係があれば生きていける世界が、たくさんあります。

そこには欠けているものがあります。非常に大切なものが欠けています。それは、外部、です。外部が欠落した世界。だから異常なのです。

最近のニュースはパワハラだらけですね。権力による嫌がらせです。しかし、パワハラをされる側はそれを痛いほど感じているのに、パワハラを仕掛ける側というのは、ほとんどがその意識を持っていないらしいです。なるほどそういうことか、と思いました。つまり、パワハラをする強者はたいてい自分の「お山」を持っているのです。強者にとっては「お山」という自分の居場所が世界の全てです。外部なんて関係ありません。だから、その「お山」の掟に反する者が現れたら、攻撃をします。それが権力による嫌がらせです。それをしたから周囲がどう思うのか、なんて、考える必要はないのです。お山の中に大将に逆らう者なんていない(はず)ですから。狭い世界のゆがんだ秩序は、この繰り返しで膨張していきます。「外の奴らの言うことなんか気にするな。俺の言うことだけ聞いていればいいんだからな」繰り返しますが、これが外部が欠落した結果です。

一方的な意見では、パワハラは、する方が100%悪い、と言います。しかし元をたどれば、お山の住人のひとりひとりも悪いのです。都合のいい時だけ助けを求めて、その代わりに権力者の横暴に目をつむってきた住人が、正しい行いをしてきたとは思えません。

お山の大将は、一刻も早く外部を意識しなければなりませんでした。さもなければ、どんな外部との温度差にも屈しない、「最強」になるべきでした。最強なら、意見の違いなどもろともしませんからね。中途半端に強いのなら、お山の大将は、勝手をしてはいけないのでした。いつか他者に叩かれて、簡単に謝罪するくらいの強さだったのだから。

今、お山に住んでいる感覚がお有りの方がいらっしゃると思います。そのお山、居心地がいいのかもしれませんが、ご自身がどんどん浮世離れしていくことに注意された方がいいと思います。これはおかしい!とばかりに強者に対して反旗を翻すなんて、しない方がいいです。そんなことをしたってお山の掟は変わりません。ただお山から脱出する。することはそれだけです。