失敗しないように策を打つことは大切です。無防備や無鉄砲は愚かなことです。思い切りや直感も時には大切ですが、それだけで上手くいくはずはありません。しかし、肝心のリスク回避も、限度というものがあります。何事もやり過ぎは良くありません。
今の世の中は、考えうる限りの全ての想定に対処するために書面化することが良しとされています。すると自然に約束事というのは膨れ上がっていきます。書面に記されているかいないかで責任を問えるのか問えないのかが分かれます。だから思いつくことはどんなことでも約束事として書き表していかない。さて、するとどうなっていくか?そう、書面づくりに追われます。本業より書面づくりに日々を費やさなければならないこともある、それが大きな弊害です。
エバーという会社の場合、それはとくに問題です。なんせ画一的な家づくりをしていないのですから、書面づくりは、極端なことを言えば、お施主様の数だけ異なるものを作成しなければならなくなってしまいます。一つの家には本当にたくさんの資材や設備やアイデアが詰まっていて、それが一邸一邸で違うのだから、個別に起りそうな想定を考えていくとなれば、それはもうキリのない作業です。考えただけで蟻地獄です。
私が今まで大事にしてきて、これからもなおいっそう大事にしていきたいと心がけていることがあります。それは「口約束」です。
口約束と言うと、ネガティブに受取られることもあります。言った言わないの元になる、とか。しかし、良い側面が悪い側面を凌駕するとも思っています。最大限の常識を両者で共有すれば、もうそれでいいのではないだろうか?と。我が国には憲法があり、その下に民法やら商法やらがあり、さらにその下に条例とかモラルがあります。ありとあらゆる事象を想定した分厚い書面というのは、大根幹である憲法だけでなく考えうる限りの細かな条例やモラルまでをも書き連ねたような、分厚い法律書のようなものです。不特定多数が買う製品に付ける約款ならともかく、私たちはお施主様の人となりも把握できる密接な関係を築くことができます。さまざまなことは口約束で同意できるし、それは約款以上に効力があると思います。つまり「お互いが話し合って理解し合う、それ以上の決まりごとはない」と私は思っています。まさかあるわけないけれど、ないとも限らない、そんな事象を事細かに書面にして同意し合わなければならない不審な人間関係が前提ではなく、顔を突き合わせて信頼を醸成させていった先の、血の通った口約束です。もちろん書面は書面で必要です。しかしそれは根底として共有する憲法のような性格のものがあれば、個々の事象はそれに照らし合わせて考えればいいだけなのではないか、と思います。
互いに信頼があっての口約束です。お施主様との信頼を醸成していくことは、おせっかいな約款づくりをするための膨大な時間を、それだけ家づくりに専念させてくれます。