調布駅前が今すごいです。大きな商業施設ができて、街が生まれ変わろうとしていますね。都内最大級のシネコンもできるとか。記憶の中ではとても牧歌的な感じの駅前だったと思いますが、時代は移り変っていきます。
再開発とは活気を取り戻す目的で行われます。古くは多摩ニュータウン、最近では武蔵小杉、近隣では辻堂駅前。どこも賑わいます。人が帰ってくるというより、人がよそから集まってくる。武蔵小杉は誰もが暮らしたい街らしいです。ついこないだまで何もなかった街だったのに。
街を生まれ変えるプロジェクトは我々の業界にとって商機です。うまく波に乗れば潤います。それなのに、エバーはそんな商機には無縁です。どうしてか?社長である私が、興味がないから、です。時流に乗るのなんて馬鹿げているから、なんて、そんな格好いいものではありません。私にとって、大規模開発というものが、なんだかワクワクしないんです。
私は生まれも育ちも茅ヶ崎です。東京で仕事をしていた時期もありましたが、ホームグラウンドは間違いなく茅ヶ崎です。茅ヶ崎という街は駅前を除けば大きな開発からは逃れていて、古いものと新しいものが同居して混沌としています。一見無秩序な街並みの中から、ある種の計算されていない調和が生まれては消え、そしてまた生まれて、そうしたことが繰り返されてきた街です。私は子供の頃からそういうのを見てきて、街とはそういうものだと肌身で感じてきました。多摩の大きな団地で生まれ育った人には、おそらく街についての異なる感性があるのだと思います。そして武蔵小杉で生まれてくるこれからの子供にも、私とは異なる街についての感性が育まれるのだと思います。どちらがいいとか豊かだとは別になく、それは生い立ちが積み重ねる感性です。だからなのかもしれません、私は武蔵小杉や辻堂駅前に居ると、なんだか落ち着かないのです。居場所を感じない、というか。なんだか落ち着かない感じです。そして茅ケ崎のごちゃごちゃした街に戻ると、ほっとします。
そういうのって、何か内面的なほかの部分にも影響するのでしょうかね?新しい街に生まれ育った人は、その街並みのようにビシッとした性格になる、とか?だとしたら、根っからの茅ヶ崎住民はみんながちゃがちゃした性格かもしれません。そんなことはないし、きちんとしている人はたくさんいると思いますが、私の周囲に限っては、それ、けっこう当てはまるかもしれません。