大事な人に、してはならないこと。

大人気のテレビドラマ「半沢直樹」を、私も見ています。ストーリーはあえてここで説明するほどでもないでしょう。実に面白いですね。一部の銀行業界人やマスコミは、あのドラマがドロドロし過ぎていることで、業界に就職する人が減ってしまうのではないか、などと心配しているらしいですよ。それほどに強い影響を与えているドラマです。まあ所詮フィクションではあるのですが、あの主人公の初志貫徹ぶりというか、社会を清く正しくしようとする強固な精神力というかは、あっぱれです。私だったらあそこまで決して戦えませんね。ヨワヨワでしょう、すぐに頭取にチクッちゃうと思います 笑。しかし大方の人間がそうではないかとも思います。誰もがあそこまで強くはなれない。憧れの存在というのは、自分にはできないことを代わりにやってくれる、だから憧れもするし、観ていてつい応援したくなるのだと思います。

それは彼の強い部分ばかりでなく、他人を思いやるという人間性の面からも「自分もこんな人間になれたらいいな」と憧れを抱かせてくれますね。彼はどんなに窮地に立たされても、やみくもに周囲の不安を煽ることはしません。むしろ大変なことほど自分の胸だけにしまっておいたりもします。慌てず冷静であることを信条として。しかし、それはドラマの世界以上に、現実の世界での方が大事であると思うのです。

どんな仕事でもそうですが、私の業界においても、他社、あるいは他者をさげすむことで己の評価を上げようとする者がいます。他人が何かミスでも犯そうものなら騒ぐだけ騒いで、それをきっかけに仕事を奪ってしまおうなどと企む者もいます。内々の小さな話でとどめておくのならまだしも、お客様の前で平気でしていまう人間というのがいます。私はそれを人間性に欠けていると感じます。

たとえば、私がリフォームを請け負うとします。壁をはがした時に、そのお客様の持ち物である家に、ちょっと気になることが見つかったとします。それは明らかな欠陥施工であるとか、ひどい手抜きとかいうわけではありません。そうではなく、ちょっとここだけ雑になってしまった、くらいのものであったとします。その家の耐用年数を左右するわけでもないし、居住性を落としめるようなものでもないし、気が付かなかったところで何も起きない部類のことであったとします。素人さんには見分けがつかない程度の、ほんの少しそこだけ気を抜いてしまったことであったとします。それなのに、してやったりとばかりにお客様の不安を煽る発言をある人間はします。「お客様、こちらのお宅はどこの会社でお建てになられました?○×ホームですか。ああ、やっぱり…いやね、ひどいんですよ、ここ見てくださいよ、こういうことしちゃうんですよ、あの会社は。」なんていうことを平気で言います。お施主様としては、教えられなくてもいいものを教えられたことで、自分の家に対して不安でいっぱいになってしまいます。教えた者は「こういうことをする会社もありますが、わが社はそんなこと決してありません。だからご安心ください。」みたいな狙いだけだったのでしょうが、お施主様はもうご自身の家に対して不安で不安でどうしようもなくなってしまいます。自分の株を上げたいだけで、お施主様の気持ちなどかけらも考えていないから、そういうことができてしまうのです。

「なんて余計なことをする人間なんだろう」私はそういうタイプの人間に対して、そう思います。私だったら、もしもそのくらいの前任者の凡ミスを見つけたら、お施主様にはあえて何も言わずに、その部分はささっと修繕しちゃいます。私の仕事は他社を蹴落とすことでもないし、お施主様に余計な不安を与えることではないからです。よほどの欠陥であるなら指摘してきちんとした手だてを取るように申し出るでしょう。
しかしそうではなく、実に些細とも言える凡ミスであるなら、鬼の首でもとったようにお施主様に告げ口をするようなことは、お施主様を不安がらせるだけで、ほかに何の意味もないのです。黙って直してあげれば、それでいいだけです。それが、お施主様を思う、ということです。

私のこの考え方というのは、特別なことでも何でもありません。どういう関係性であっても、人と人とが信頼し合って生きていく上での、基本だと思っています。要約すればたったひと言でしょう。「大事な人に、必要以上の心配をかけてはいけない。」その点では、半沢直樹と私は、同レベルだと思います。(いや、やっぱり違うかな…)