大切なものを捨てられる人間だけが、何かを変えることができる。

新しい号が発売されるたびに、急いで買って読むマンガがあります。ご存知「進撃の巨人」です。すごいマンガだと思います。人によっては「ああ、巨人が人を食べるやつですよね?」と、とてもシンプルな反応をしたりします。しかし、その発想こそが、原始的であり、逆に全く新鮮なものでもあります。平気で人を食べるシーンが現れて(しかも露骨な描写で)、ぎょっとします。しかしこのマンガの本質というのは、そういうところではないと私は思っています。

幼い頃というのは、相手にかなうかなわないは別として、力づくで欲しいものを奪い取ろうとしたり、やりたいことを押し通そうとしました。しかし、いつしか誰もが大人になるにつれて、諦めの気持ちが生まれたり、道徳心のようなものから力をふるわなくなったり、かなわない相手には最初から立ち向かうことをしなくなったりします。そのうちに、圧倒的に強くてかなわない相手という存在がはっきりと見えてきて、それらは「別の世界」と割り切るようになります。それらは、人であったり、社会であったり、法であったり、自分たちを取り囲むさまざまな強大なものです。幼い頃に抱いていた壮大な夢など、いつしか「幼稚だったな」のひと言で片付けられてしまいます。

「進撃の巨人」の主人公であるエレンという青年は、どんなに現実の世界が地獄であろうと、幼い頃から持ち続けている「海というものが見てみたい」という夢を見失わない人間です。どんなに多くの仲間が殺されようと、自分が殺されかけようと、夢は砕けることがありません。残酷な世界のほんのわずかな光だけを頼りに、生き残っている仲間と共に夢に向かって進み続けます。

「進撃の巨人」は、「どうがんばったってできないことがある」ことと、「それでも人は夢を持ち続けなければならない」という観念を、読む人に伝えています。それって何でしょう?そう、「現実」です。巨人とか途方もない存在が現れる寓話ですが、本質は「現実」を描いているように感じるのです。

「大切なものを捨てられる人間だけが、何かを変えることができる。」劇中の名セリフです。これは人生という現実の中であてはまります。過去の歴史において、何かを変えた偉大な人物というのは、皆、大切なものを捨てられる覚悟を持っていたのだと思います。右手に持っているものと、左手に持っているものの、両方を得ようとする人は、きっと何も変えられないのでしょうね。

最近、気がついたことがあるのです。それは「モラルのない人間に限って法律の話をよくする」笑。そのような人に限って、よく「法的には問題ないですから」とか言います。法的に問題なければ良い、なんて、誰から教わったのでしょう?笑 そういう人間像って、よくマンガに出てきますよね。「ベニスの商人」さながら強欲な商人だったりします。ふとしたことで一文無しになる類です。間違っても、話の本筋にはなれません。

img06