医科大の大学入試で男女差別が発覚しました。試験の点数に関係なく女性の合格者数を限定して、一定数以上の女性合格資格者の資格を裏ではく奪していたものです。ニュースを読んで憤りを感じました。多くの有識者やコメンテイターは声を揃えて非難していました。先進国にあるまじき悪辣な男女差別である、と。まったくその通りだと思います。
そんな中、コメントを求められた西川某女医が言っていました。「皆さんびっくりしてますけどそんなの昔からやっています。どこだってやっています」と。
続けてこう言いました。「女の子の方がお勉強するんだから普通女子は男子より合格できますよ。だけどその通りに医者が女子ばっかりになったら困るでしょ?女医に整形外科はたいてい無理でしょ?末期患者がいて自分は産休するとかたいてい無理でしょ?」その言葉はリアルでした。
子供の頃から、女子は男子より勉強します。私の頃も思い出せばクラスで女子の方が勉強していたし、成績がよかったです。女子はみんな真面目でした。それは社会で男子の方が女子より有利だから、という常識が働いていたからだと思います。将来に少しでも社会で男子に打ち勝つために、そうでなくとも少なくとも肩を並べるために、女子は小さな頃からしっかり勉強をしなければならなかったのです。中学でも、高校でも、授業でしっかりノートを取っていたのは女子でした。どこかで聞いたことがあります。医者をめざす子供たちの予備校では、講師が「女子は男子と同じ点数では受からないんだから、もっと勉強をして男より良い点を取れ」と露骨に言うそうです。そんな女子が本気で医者になろうと決意して、さらに勉強に磨きをかけて入試に挑むのが医科大の入学試験です。割合として女子合格者の比率が高くなるのは道理です。しかし社会の中で女性ばかりを医者にできない現実があります。女性の適正として職業に向かない科目があるのが明白だからです。
できる女性を入学させなかったことは男女差別ですが、それをそうさせた、その原因をつくった現実社会の課題というものは、男女差別ではないと私は思います。男女に差があること・イコール・男女差別、と簡単に結論づけるのは、何の解決にもならないと思うのです。裏で入学者を操作するような卑劣なことをする前に、現実に即した対策があれば、こういった女性を蔑視した結末にならなかったのではないだろうかと思います。
体力的や性質的に女性に向いた科目というのは女性がどんどん入学できるようにすればいいし、現に多くの女性医師が活躍しているでしょう。しかしそうではない、適性として女性に向かない科目(たとえば強い力を必要とする外科関連など)については、女性でも活躍できる制度や設備を一刻もはやく整備するような意思を明確にする、とか。あるいは、なぜこの科目は女性合格枠が少ないのかを誠実に説明し実行する、とか。差別ではなく適性の振り分けであることを理解してもらうための努力をするべきです。私は医者ではないのでそんな程度しか浮かびません。しかし「これは差別ではなく、男女の適正やメリットを平等な観点でとらえた制度である」と自信をもって言えるような説明方法がきっとあると思います。そっち方向の努力をしないことには、また「裏でこっそり」みたいなことが起きてしまうのではないでしょうか。
男には社会でできないことがあります。それと同じく女性にも社会でできないことがあるのだと思います。できないことがある、という点でも男女は平等です。そのできるできないの境界線をなくすことは今も将来も非常に大事なことです。しかしその格好の策というのは、現実を直視しないと生み出されません。西川某女医という当の女性が繰り出したリアル過ぎる発言だっただけに、ほかのどんな男性医師が言うより納得させられました。