心を痛めています。自分のせいではないにしろ。

数カ月前から触れておりますが、今年は地引網が中止です。お施主様の皆様、親しい関係者の皆様、誠に申し訳ございません。エバーといえばその代名詞でもあった夏の恒例イベント。私も1年ぶりにお会いする笑顔を毎年心待ちにしておりました。子供さんたちの成長が楽しみでした。本当に残念です。またいつか、仮に地引網でなくとも、皆様と集い笑い合える何かができればと思っております。

そのことは言葉だけでなく、本当にそう思っていて、それが私の性分なのでしょう「ああ、みんなに申し訳ないなあ…」と毎日のように思ってしまいます。楽しいことが根っから好きであるし、もちろん私には直接届かなくとも「なーんだ今年はないのか、つまんないな」と思っている方々の心が想像できてしまいます。

相手の気持ちを想像するということは、辛い時もありますがだからこそ重要だと思います。この人はいったい私に何を期待しているのだろう?私は何をすればその気持ちにこたえることができるのだろう?と考えることです。あるいは、私は何をしてはいけないのだろう?と考えることも同じくらい重要です。

先日、友人がこんなことを言っていました。「どんなに美味しいものを出す店であっても、お客さんの気持ちを想像しない店は駄目だね」。まったくその通りだと思いました。以前このコラムで一流店のことを書きましたが、一流店とは値段に関係なく、それができるかどうかです。純粋なプライベートで来ている客がいて、その方とビジネスライクなお付き合いをしている別の客が来たとしたら、両者がなるべく接しないようにもてなす主人を知っています。実に粋であるし、真のプロだと感じます。それとは逆に、別に聞いてもいないのに「そういえばこないだお友達の○○さん、○○さんといらっしゃいましたよ」なんてご丁寧に教えてくれる主人もいます。

その主人としては相手とのコミュニケーションを深めるために教えてくれたのだと思います。しかし、それって同じように「こないだ猪狩さん、○○さんといらっしゃいましたよ」と誰かに教えているということです。親密な関係であったとしても、他の客のプライベートな情報は流すというのは、してはいけないこととして重要です。

一を聞いて十を知る、とはよく言ったものです。同じように、一を感じて十を感じる、ことが大事だと思います。仕事においてだけの問題ではなく、全ての人間関係において。生きている以上、期待にこたえられる人間になりたいと思うことが大切です。「みんなに申し訳ない」と思う私のうしろめたい気持ちは辛いものですが、でもそれがあるから私という人間はいくらかまともなのだと思っています。

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