悪しき風潮、それを当事者は「伝統」という。

大学体育会の陰険な体質というのが浮き彫りにされています。どうしてこう、この体育会気質というのは最近とくによく問題を起こすのでしょう?おかげで、そのことで私も高校時代を振り返り、当時の体育会気質の教師たちのダークな部分を思い起こしたりしました。私の出身高校でも、その気質というのがよくありました。

身体検査で胸囲を測る時、上半身裸の高校生の私に、その体育会系列の教師はしばらく何一つしようとしませんでした。「どうして何もしないんだろう」と思っていた私は、ようやく気がついて言いました。「よろしくお願いします!」それでようやく教師は私の胸にメジャーを巻きました。そして、測り終わって、今度はメジャーを外そうとしません。高校生の私はまた「?」と思い、気づいて言いました。「ありがとうございました!」ようやくメジャーは外されました。

今度は別の教師の話です。授業に15分遅れ、ばつがわるそうにして私は教室に入りました。そのことでその教師は授業を中断し、しばらくの時間教室には沈黙が続きました。沈黙が続き、やがて教室からくすくすと笑いが漏れるようになりました。なぜ授業が中断されているのか、この奇妙な沈黙がずっと続いているのかは、クラスメイトは皆知っています。「ああ猪狩の奴やられてるよ」くすくすくすくす。それでも授業は再開されず、教師は微動だにしません。「いい加減にしろよ」という気持ちを押し殺して、私は「遅刻して申し訳ありませんでした」と教師に詫びました。教師は私を一瞥して、何事もなかったかのように授業は再開されました。

そうです、その体育会系列の教師は、礼儀を重んじそれを是とする人ではあるのかもしれませんが、性格はとにかく陰険、陰湿なんですよ。相手はたかが高校生です、それなのに「最初と最後に挨拶をするのがルールだよ」と諭すこともせず、遅刻者に「どうして遅れたのか理由を言え」などと問いもせずにただただ相手が謝罪の口を開くまで沈黙し、笑い者に仕立てるわけです。徹底的にターゲットを晒しものにし、絶対服従の感覚を植え付ける、そういうやり方というのが彼らの教育方針のようなものでした。

ある時、私はやり玉にあげられ、例によって陰険な手法をとる教師の怒りを買いました。そして、その時に教師に向かって「くだらねえ」と呟いてしまったことがあります。それから先の私の高校生活は、まさにその教師の標的でした(笑)。

退路を断たれ、追い込む。そう、今ニュースで浮き彫りになっている大学体育会の在り方って、本当に昔から変わらない、同じやり方です。スポーツを軸にしているので、ある種外部とは異なる性格の社会なので、手法は上の世代から下の世代へと受け継がれていきます。違法タックルをした彼の記者会見を聞いていて、退路を断たれ追い込まれていたことが非常によく伝わってきました。彼を弁護するわけではありませんが、彼はもう、ああするしかなかったんだと思います。そして、それをやらせた側は「奴を強くしようと思ってやっていた」と言います。しかし、やっていることは陰険、陰湿なんです。ひょっとしたらそれをやり続けた側は未だに「俺のどこが悪いんだ」などと思っているのかもしれません。否、おそらくそうでしょう。

今やってはいけない事の数々が、外部から指摘されることなく当たり前のように連綿と続いている。やり方が陰湿かどうか、気がついたら誰もが無神経になっている。立て続けに問題が発覚するのは当然です。