先日茅ヶ崎の友人と話をしていました。
飲食店を任されている彼は「どうしたらもっといい店になるか」を真剣に考え、その心を口にしていました。飲食の店を仕切るなど縁のなかった私なりに考えてみました。いい店、流行る店は、おいしくて、気持ちがいい、そんなお店です。てっとり早く考えるなら、一流のコックを招き入れ、スタッフにホスピタリティを学ばせて・・・。
ところがそれらは全て他力本願です。誰かの力を借りたり、お金さえ払えば解決するなんて、どこか「木をみて森をみず」のように思えました。私は彼には親身でありたいので、自分なりに考え、こう言いました。「お金をかけずに何か成果をあげることが大事だと思う」と。
後で思い返してみると、その時の私は、私自身が日々こうありたいと思っていることを、言葉を変えて彼に話しているのに過ぎませんでした。日々の中で、どんなことでもそうですが、私は理想とするのは、お金をかけずに時間や手間をかけることです。何故かというと、それが一番難しいことだから、有り難いことだからです。お金も時間も手間もかかって、それで良いのは当たり前です。
けれど誰しもが恵まれてそうできるわけではありません。だったら何を一生懸命にがんばったら、相手に自分の気持ちが、身近な誰かや仕事のお客様といった周囲の大切な人々に伝わるのか?
それはやはり時間や手間を惜しまないことです。その人を思いながら考えたり、悩んだり、試したり、そういった試行錯誤の繰り返しをすることです。
コンビニのお弁当。気軽だし、いろいろ選べるし、安いです。
一方、高級料亭の出すお弁当。珍しいものや、ふだん口にできないものが入っていて楽しませてくれます。では、あなたに聞きます。毎日食べるのなら、あなたはどんなお弁当がいいですか?きっとあなたはこう答えるはずです。「母親や、妻や、恋人や、そんな人が作ってくれる普通の手作り弁当」と。
おそらく技術は高級料亭に劣ります。コンビニほどバリエーションはありません。それでも毎日食べるのなら、あなたを思って時間や手間がかけられた、愛情あるお弁当が、毎日食べるのなら一番美味しいはずです。
家だって同じです。毎日食べても飽きないお弁当のように、毎日住んでも飽きない家が、私は一番良い家だと思っています。
「EVERGREENHOMEの家は、うちの奥さんの手作り弁当みたいだ」そんなことを言ってくれるお施主様がもしいたら、私はきっと飛び上がって喜んでしまうと思うのです。