持ってきて置く…×。在るものを育てる…○。

先月末、茅ヶ崎サザン花火大会を観させていただきました。花火にはあまり興味はなかったのですが、チケットをいただいたので、せっかくならと。50年目にしての初めてのライブ観賞です。いやもう、凄い迫力でした。海岸には3万人以上のギャラリー、関係者も含めると4万人は下らないでしょう。眼前に打ち上げられる途切れない打ち上げ花火の光と音。人々の興奮。街が盛り上がるというのはこういうことなんだな、と感じました。

茅ヶ崎サザン花火大会は、花火師の皆さんが、せっかく茅ケ崎でやるのだからサザンオールスターズの曲に乗せて花火を打ち上げたい、という気持ちから発したものらしいです。茅ヶ崎の住民の一つ一つの心に何十年も息づいているサザンの曲と、壮大な打ち上げ花火。そのコンビネーションはある意味で「伝統的」なものだと感じます。茅ヶ崎住民にとって奇をてらったところがありません。誰もがきっと「こうであったら素敵だろうな」と思うことを、素直に実現できている感覚です。

街が息を吹き返すとか、街が盛り上がりを取り戻すということは、そんな、すでに在るものを大切にする、という行為に他ならないのではないかと思います。巨大で便利な箱ものをつくって「はい皆さんここで遊んでください」と言われても、そういうものに沸く愛着というものはたかが知れています。飽きたらぽいっと捨てられてしまうのだと思います。

いま、人々は西に向かっています。圏央道から湘南バイパスで茅ヶ崎まで来て、熱海や小田原、大磯といった西側に楽しみを見出して向かう人々が急増しています。熱海は温泉街として見事な復活を遂げたし、小田原や大磯も街おこしに力を入れてきた成果が実を結んできました。何か事を起こそうと役所に挨拶に行くと、小田原や大磯では市長や町長クラスの方が出迎えてくれることがあるという話を聞きます。それだけ、必死な街は一生懸命です。がんばって出てきた結果が、人々を西に向かわせています。では茅ヶ崎はどうでしょう。答えは「?」です。少なくとも私には、街を盛り上げるための知恵と努力が欠けているような気がします。「茅ヶ崎はね、もういいんですよ、これで」なんてもしも思っているとしたら、それでは困ります。

そんな風に思っている中での茅ヶ崎サザン花火大会の観賞は、一つの光明に思えました。生まれ育った茅ヶ崎の街の鈍い進化を目の当たりにしながら、これは捨てたもんじゃないな、と救われました。このパワーを街の至る所で感じられたら、茅ヶ崎はもっと活気にあふれた街になります。私は私で、自分が思うことを信じて進めて、いい仕事をして、それが結果的に街の活気につながればいい、そんな風に考えています。