新しい生活様式になって、できること、できないこと。

世界経済が大きく破綻します。もちろん経済だけのことでなく、人や物の移動に予想だにしなかった制約がしばらくかかるのでしょう。今まで普通に動かしてきたものやことが、新たなルールのもとでしか動かせなくなってしまいます。全方位的なスピードダウンがしばらく続きます。
私が勝手に予測するに、テレワークの浸透により「東京に居る」ことの必要性が薄れてゆくことで、東京の人口はだいぶ減ってゆくのではないかと思っています。今までのように多種多様な飲食店が自由に営業できるかというとしばらくは難しいでしょうし、きらびやかなネオンまたたく夜の街も野放図な楽しさではなくなります。東京が持つスリリングな感覚、フリーな感覚はしばらく取り戻せないのでしょう。「なんだかなあ、これならもう少しごみごみしていないところに引っ越してのんびりした方がいいなあ」なんて多くの人が思うのではないでしょうか?たとえば私が港区や世田谷区に在住しているような都会的で洗練された人間であったら、どこに引っ越すだろう?なんて想像してみます。まず真っ先に浮かんだのが、鎌倉です。どうせならかっこいい街に移りたいでしょうから。それとか、横浜の伝統があるおしゃれなエリアとか。窓から江の島が見える家なんていうのもいいなあ、とか。そんな風に、もはや東京に在住しなくても済む人々は、かっこいい人々はそれなりに聞こえのいい都外のどこかに移住します。そのようにして、都内在住者は四方八方に散らばり、都内は人口減少化が進み、ますます地方の時代へと移行してゆくのではないでしょうか。
これらはテレワークが仕事として成り立つ人々の可能性です。そして、そうではなく、実際に人に会ったり、会社に通わないと仕事が成り立たない人々も大勢います。
エバーの場合、どんなにテレワーク体制が進んだところで、当たり前ですが現場はそうできるわけではありません。現場に出向き、スタッフがコミュケーションを図りながらひとつひとつ部材を組み上げ、家をつくり上げてゆく従来の家づくりのスタイルは変わりません。
では、それ以外の部分はどうか?たとえば遠方や海外への資材調達などはテレビ電話で可能だし、それは今までも行っています。コミュケーションを必要としないような図面づくりなどは在宅でも可能です。じゃあ、お施主様との打ち合わせなんかもテレビ電話とかでいいんじゃない?と思われるかもしれません。しかし、これがなかなか難しい。
家づくりの決め事というのは言葉を主体とした合理的な判断だけでは難しいのです。たとえば、面と向かって初めてわかるニュアンスというものがあるからです。パソコン画面の向こうで「うん、なかなか良いですね」という言葉をどう捉えたらいいのか?「最高。100点満点です。」なのか、「うーん、こんなものか、まあいいか」なのか、「なんか違うなあ。どう言ったらいいんだろう?」かもしれません。お会いして、その時の全体から醸し出される空気が見えたらわかる大切なことが、さまざまな情報が省かれた画面からは伝わらないことがよくあります。はき違えてしまうと、お施主様の望む理想の家から遠ざかってしまう、それが最も恐れることです。
人と人が直接会い、言葉にならない相手の空気を察知する、これが、とくに日本人のコミュニケーションには重要に思えます。それは家づくりにおいて非常に重要です。