たしかシンガポールでしたか、貴重な歴史的建造物を修復し、地震に耐えうるよう大規模な補強を盛んに行っています。あの辺りも日本に負けず劣らず地震が頻繁な地域なのですね。優れた耐震・制震・免震の技術を積極的に海外から取り入れたい意向のようです。
そこで驚くべきことは(いや、「やっぱりか」とも思いますが)修復・補強に参画している企業の大半が日本の会社なのです。世界の技術の粋を横並びに比べた結果、最前列に並ぶのは、やはり日本の技術力だと証明されました。
日本には、ろくに資源といえるものがありません。けれども、ひょっとしたら、そのことで逆に自分たちならではのチカラを身に付けたのかもしれません。その一つが技術力です。腕さえあれば、頭さえあれば、資源がなくとも立派に世界に肩を並べることができます。日本にはレアアースという資源はないので、中国から大量に輸入していました。そして、あろうことか輸入制限が始まりました。
しかしそんなことで諦めないのが日本人です。今度はその少ないレアアースで現状と同じ性能をあっという間につくり上げてしまったのです。目の前に現れた大きな壁を、涼しい顔でスイスイと乗り越えてしまったかのようです。実に爽快ではありませんか。
さて、私は連休に無理やり休みを取って、人が大勢いるような場所に行くというタイプではございません。社長としてはどうかな、とも思いますが、結局のところこの連休は一日も休まずに出社してしまいました。別に社員に対しての嫌がらせでも何でもありませんよ(笑)。スタッフは皆、仕事のタイミングを見計らって各々が自由に休みを取っていましたから。私はといえば、ぽつぽつとお客様との打合せが入っていたりして、連休が終わってみたら結果的に休んでいなかった、という感じです。連休のオフィスは結構いいものですよ。電話もあまり鳴らないし、自由にできる時間もそこそこあるので、マイペースで仕事をしたり、考え事をすることができます。祝日が増えていく昨今「あんまり休みが多いというにもどうかなあ…」そんなこともぼんやりと考えていました。
どこかの国では昼休みを長くとる習慣があります。アノ国はそんなだから国民が豊かにならないのではないか?日本もあんまり休みが多いと、あの国みたいになっちゃうんじゃないか?なんていうことも考えていました。
考えてみると、休みというのは自分のことを考える時間のことです。そして、仕事というのはお客様のことを考える時間のことです。休むのはそこそこでいい、と考える理由とは、そこなのかもしれません。自分のための有り余る時間なんて、むしろ私は持て余してしまうのです。自分のことなんて、結構いい加減でいいし、後廻しでかまわない、と格好つけでもなく心底思っているのです。むしろAさんの家の問題点を解決することや、Bさんの家の希望をかなえることの方が、時間も労力も必要だから、時間はそっちに廻していきたいと思ってしまいます。皆さん、多かれ少なかれ、同じような感じではありませんか?仕事に比べたら、自分のことなんて、ずいぶんいい加減ですよね?私だけではないはずです。誰もが自分のこととなると、考えるのが苦手なはずです。
そこで、はっ、と気がつきました。その発想が、ひょっとしたら日本人の素晴らしさかもしれない、と。「自分はいい加減でいい、後廻しでいい、それよりもお客様のために」これです。言葉にすると大変に立派です。でも、元を突き詰めれば、「自分のことは、べつにテキトーでいいや」みたいな、そういう実は面倒臭がり屋的な発想が、日本人を優秀にしてきたのかも…?