四半世紀前につくられたニュータウンが、徐々に活気を失っています。
大手が手がけた大規模な住宅分譲地が、やはりそれまでの歴史と同じ運命を辿るかのように見えます。そのような着手がかからないここ茅ヶ崎では、あまり体感できないような現象です。ありがたいというべきか。老いゆく町は、どの町もどこか気味のよくない印象を残していきます。水を打ったような静けさの高層住宅は無意味にそびえ立ち、かつて栄えたショッピングセンターは時代が止まったままのように押し黙っています。色もかたちも揃った民家は、規則正しく並べられたまま、例外なく均一に、最後まで個別に自己主張をしないまま古くなっていきます。見晴らしのよい交差点からふと周囲 を見渡すと、広い道幅の東西南北のどこにも人が見当たらない光景に出くわしたりします。
あの頃、未来に大きな夢をもってここに暮らしていた人々は、ここで今、何を考えて生きているのだろう?均一なままただ古くなってゆく世界の中で。町って、はたしてこんな風に刹那的なものなのだろうか?
幸いに、エバーをとりまく町並みはどこもそれぞれに魅力的です。
ホームタウン茅ヶ崎をはじめ、鵠沼、鎌倉、逗子、葉山・・・それは海があるから、という単純な理由で言っているのではありません。町並みそのものが魅力的です。おかしいな?どうしてなんだろう?と思います。よくよく考えてみると不思議ですよ。道が狭かったり、路地が入り組んでいたりして、どこも決して便利のいい町とは言えませんよね?スーパーや学校だって不便な地域はたくさんあります。それなのに皆に愛され、移り住む人が後を絶えないのです。便利であることは、暮らす上で最も譲れない条件では決してないようです。じゃあ何が魅力なんだろう、と考えてみます。
町というのは、誰かが無理やり整理整頓してはいけないものなのかもしれません。
通りも、家並みも、勝手気ままな方がいいのでしょうね。人と同じように、ある家が老いればある家が生まれ、時間の経過とともに規則は生まれ変わってゆく、それが大切なのかもしれません。どんなものでも、他人がつくったものより自分がつくったものの方が愛着があります。私たちの町には、過去永久のとりとめのない愛着がどっさりと積み重なっているわけです。
全国の皆さん。湘南と呼ばれる町に住む私たちはよく、私たちの町のこと、悪口を言います。
鎌倉の人は「不便だよ、やめたほうがいいよ」、鵠沼の人は「住みづらいよ、やめたほうがいいよ」、茅ヶ崎の人は「田舎だよ、やめたほうがいいよ」とかとか。
それって、おおかた愛着の裏返しです。鵜呑みにしない方がいいですよ。