真相を知る/意見を疑う

私たちには物の表面が見えます。中身は目で見えません。透視の超能力があれば別ですが、中身はまず見えません。当たり前の話です。

じゃあ、見たかったらどうすればいいか?割ってみればいいのです。割ってみれば「ああ、中身も表面と一緒だった。よかった。」と知ることができたり、「なんだ、表面と全然違うじゃないか。」と知ることができたりします。そうだ、西瓜だったら叩いて音を聞く、という手もありました。

物であれば、それで中身を知ることができます。しかし、事の真理というものは、割ってわかるというものではありません。情報は、表面を眺めながら想像をするしかないのです。新聞やテレビ、人の意見・・・しかし、これがなかなか怪しい。データはないよりあった方が良でしょう、けれどその全てが間違っているということもあります(最近はとくに多いような気がします)。情報収集なんて、西瓜の音を聞くよりもはるかに信用できないことのようです。「みんながそう言っているのだから、きっとそういうことだろう。」こういうのが本当に恐い。

なんでそのようなことを申し上げているかというと・・・最近の、アメリカ経済のデフォルト(債務不履行)について、です。「みんながそう言っている」の実に典型的な例でした。どの新聞やテレビを見ても「世界的な経済破綻の危機!」「恐慌の始まり!」とその恐ろしさを伝えていましたが、お金の構造を少し知っている人なら「デフォルトするわけないでしょ。」とたかをくくっていたはずです。だって、たとえて見れば簡単なこと。“巨大企業アメリカ株式会社が、中国株式会社や日本株式会社からお金を借りて事業を展開していました。その事業ローンの返済期限が迫っていますが、今は返済することができません。”だからといって世界一の巨大企業が、債務不履行なんていう手を使って計画倒産なんぞ画策するでしょうか?債券も信用も紙切れにした文無しのアメリカさんとなり、ゼロからやり直すのでしょうか?

借金とは、少額なほど借りた人を苦しめ、途方もない大金ほど借りた人を保護する、そんなようなものです。ましてや、借りてるアメリカさんという人は、めっぽうケンカに強かったりします。身近にもいますね、そういうキャラの方達。誰だとは言えませんがね(笑)。
真相を知ることは大切なことです。もちろん仕事の上でも。「本当にそうなのか?本当にそれでいいのか?」と自分や相手の意見を疑うことは、ステップとして必ず必要に思います。そこから仕事は一段上がるのです。二回思えば二段上がります。三回思えば、もっと限りなく正解に近づきます。