経験値が増えるということ

かつて「美味い」と感じた高級店に久しぶりに出かけると、どうしてでしょう、少しがっかりしたような気分になります。
その理由の一つは明らかです。味覚が発達したということです。これは至極当然ですよね。食べることだって経験です。経験値の少なかった頃に食べたものだから、割に気安く「美味い」と感動してしまいます。そうして年月が経ち、味覚は記憶が薄れたとしても、“あそこのあれは絶品だった”という感情の記憶は強く残り続けます。場合によっては当時より強いパワーとなってデフォルメされたりもします。経験値が少ない時の私がその頃に感じた“美味かった”という思いは、経験値が増した現在の私ではもはやなかなか感じることができなくなってしまった、ある種特別で鮮烈な感覚です。
その証拠に、今では高級な店で美味しいものを食べたとしても、後生大事に心にしまっておけるほどの鮮烈な思い出にはなりませんからね。

かつての自分よりも経験値が上がってしまったものは、味だけではありません。かつては評価の軸を「味」や「雰囲気」程度しか持てなかった自分が、変わったためです。今の自分には、それだけでない、さまざまな要素を口や目や耳から感じてしまいます。「どうしてこのレベルの素材でこれだけの値段を取るのだろう?」とか。「これだけのスペースでなぜこんな落ち着かないテーブルの配置をしているのだろう?」とか。「このメニュー構成はどういうお客さんにどういう気持ちで来てほしいのだろう」とか。かつて「美味い」と思ったものとの久しぶりの再会を、単純に喜ぶということではなくなってしまっている自分がいます。
せっかくの高級店なのだから、味だけではなく、店の考え方や、格のようなものも一緒に感じたいわけです。それが、高いお金を払う価値だと、今の自分は思っているわけです。

何も足しげく高級店に通っているわけではないし、いわんやグルメという類でもない私です。800円の美味い定食ランチが大好きです。
それでも今のこの年齢の私というのは、高級そうな店に入ったら、その店の品定めをします。
マイナスを探すというような野暮なことではなく、「この店のどこが高級なんだろう?」と探りながら、格とか本質といったものを知りたいと感じます。そうする行為が、予想以上に美味くもさせるし、反対にがっかりもさせます。

経験値が増えるということは、ジャンルの違う場所から何か大切なものを学びたいと思う気持ちが強まるのかもしれませんね。

さて、ここまで書いて、今日の昼はどこで食べよう?と考える私ですが・・・。
やっぱり「グリルタグチ」で、バクバクとドライカレーを食うのが素敵です。