良い家は、どうして良いのだろう。

すごかったですね。もちろん渋野日向子選手です。42年ぶりの全英女子オープン優勝!何なのでしょう、あのメンタルの強さは。若干20歳ですよ。

こんな私でさえ、仕事のことで眠れない日々が続くことがあります。結論が出せずに悶々とすることがあります。そんな私と同じような人は世界中に大勢いるのでしょう。しかし、そんなこととはスケールが違います。違い過ぎます。

プレー中も笑顔。移動中も笑顔。驚きました。そしてオーディエンスとハイタッチ。やっぱり笑顔です。すごい子が現れたものです。

ただ、ある場面で私は少し心配になりました。ファンサービスは素晴らしいことです。しかしハイタッチはどうなのかな?と。

何かのきっかけで強いファンの握力に負けてしまうかもしれません。ゴルファーにとって手や指は宝物です。取り越し苦労であっても、ハイタッチで何か手や指のコンディションを落としてしまったら、怪我でもしようものなら、どうするんだ?と思いました。ああいうすごい子だから、そんなことは気にせず、ハイタッチなんかしながら気持ちよくラウンドすることで調子を上げてゆくのでしょう。だけど、私としてはちょっと心配です。

それは彼女を観るための気持ちのよい観方とはちょっと違うのかもしれません。私は何かにつけてよくそういうものの観方をします。しなくてもいいなら、ハイタッチはしない方がいい、と。もっと別のかたちでファンサービスをしたら、それでいいと思います。

私はよく考えすぎて眠れない日が続く、と申し上げましたが、私のものの考え方自体が、渋野選手のハイタッチに対する考え方と同じように、真正面だけでなく、側面や、ある時は背面からも観察するような性格を持っているからだと自覚しています。多方面から分析する癖があるから、余計に何が正解かが結論づけしにくくなっているのだと思います。

そのような性格は、当然、生きていて辛い面が多くあるのですが、またその逆の「よかったなあ」と感じる面というものもあります。

たとえば、良い家に出会った時です。どうしてこの家を良いと思ったのだろう、と掘り下げます。見た目だけのイメージだけを吸収して、自分なりの肥やしにするのも良いと思います。ただ、私の場合はそれだけでは我慢ができず、家の具体的なつくりについて細部まで徹底的に観察します。良いと思ったのはなぜか?それが知りたくて仕方がないから、一生懸命に具体化する習慣があります。時には会ったことのない職人やお施主様の人となりなんかも想像しながら。真正面から、側面から、真後ろから、俯瞰して…いろいろな角度から。

考えて考えて考えて、「は!そういうことか!」となった時、とても爽快な気分です。