子供の頃の記憶というものは、色が少なかったり、あるいは色がまったく無かったりします。
どうしてなんでしょう・・・不思議です。時間とともに色あせてしまうのでしょうか。まるで古いポスターが時間とともに色あせてゆくように。
私は茅ヶ崎市の南西にある海辺の町、柳島に育ちました。
そこでの記憶の景色というのは、今のように色が多い柳島の光景ではなく、平屋の家並みのくすんだトーンの連続のようなものや、野っ原の枯れかかった雑草や、一本に伸びる灰色の道路といった、そういったものです。
今のように、モダンな色とりどりの家々や、賑やかな商店の看板や、そういったキラキラとした「湘南」という感じとは異なります。私が子供の頃の時代と今は、ずいぶん変わりました。
今の子供たちが大人になった時には、彼らの思い出の景色はどうなるのでしょう。やはり私と違って、たくさんの色が記憶に留まるのでしょうか。
エバーがプロデュースする茅ヶ崎市柳島のレストラン(名称:ル・ニコ・ア・オーミナミ)が、着々と工事が進展しています。(今月はホームページに「離れ」の写真を公開させていただきました。下の記事です。)
私はオーナーである立場上、最近は足しげく柳島に通っています。そこで思い出す、子供の頃の記憶がいくつもあります。
どこか遠くで鳴る、工事の「コーン!コーン!」という音。杭打ちの音です。今は油圧で行うためあまり聞くことがなくなった、どこか懐かしい音です。レストランができる浜見平団地の周辺からは、国道134号線沿いの汚水処理場の工事車両が、遮るものなく見えていました。「コーン!コーン!」と音をたてる重機の姿が、浜見平の部屋の窓から小さく見えていました。その手前にあったのは、畑と、点在する平屋の家々、それだけでした。景色を真横に遮っていた国道134号線は、今のような堅固な幅広の道路ではなく、土を盛った上に伸ばしただけのような、いかにも田舎臭い道路でした。昭和39年、オリンピックの年にできた浜見平団地が、背が低い町並みの中に抜きん出ていました。そんな景色に当り前のように囲まれて、私は育っていきました。
今から考えると「何も無かった」町でしたが、しかし、今の柳島という町には、私は大きな可能性を感じています。
来月、12月27日(火)にはレストランの上棟式が行われます。餅まきを行いますので、近隣の皆様のお越しをお待ち申し上げております。