過剰、それがいつしか必然となる。

新築の棟数が減っていることから、世間の建築会社はリフォームの比重を増やすという方向に移行しているようです。そんな流れですが、エバーは新築とリフォームの比重を変えることはしません。リフォームも承りますが、 エバーはあくまでも新築が主流です。そういった流れの中で常に適正価格を遵守していこうと思います。先日、某他社のリフォーム事情を見知って驚きました。同じ内容でエバーの倍近いリフォーム料を取っているということです。エバーで300万円のリフォームがその会社では600万円だというのです。素材選びや何やらでオプションを乗せていく手法なのかもしれませんが、それにしても…いくら何でもリフォームで取り過ぎなのでは?と思いました。失礼なことを承知で言いますが、頼む方も頼む方だと思います。それで「2万円ほどお安くさせていただきます」とか言われてご満悦になっているのであれば、それはまんまと術中にはまっているということです。過剰なことは決してよくない、と私は思います。すなわちそれがエバーの思想です。

建築過剰ということでもう一つお話をしたいと思います。30年前と現在とで何がどう変わっているか、という話です。たとえば、RC造の鉄筋コンクリートの素材量。現在は30年前の倍の量を必要としているんですよ。これは30年前がいかに粗末だったか、という話ではありません。むしろその逆です。たかだか30年前は今の量の半分で済んでいたし、かかる費用も今ほでではなかった、ということです。量が増えたことで地震に対して堅牢になったとは言えるのでしょうが、だからといってそれは必要、なのか?そこに過剰はないのか?ということです。先日の東北大震災でも実証されたように、建物は堅牢過剰にすると外部からの力を上手に逃がすという力が衰えてしまい、そこに弱点が発生します。受ける力を真っ向から受け止める前提で、力を逃がすという安全性を排除していまうことは、そもそも双方の物の見方の角度が違います。家が丈夫であることはもちろん大切なことですが、だからといって「丈夫に!もっと丈夫に!」と、たいそうな基礎工事に大金をはたくというのは、経済性の面とのバランス論で考えると良いこととは言えません。お金持ちでなくとも大丈夫な家を建てる権利はあります。必要な材料を軒並み増やしていくというのは、これは違うのではないかと思うのです。

三権分立、ではありませんが、構造・設計・デザインというのは互いに不可侵であるのが前提です。それぞれが独立した権限を持っていなければならず、いわんやデザイン側の人間が構造側の人間に注文をつけるようなことなどナンセンスです。この独立性があるから建築物の安全性や快適性は健全に保たれるわけです。が、しかし!「そ、そんなに、過剰にしなければいけないのか?」とも感じます。何かにつけて「安全性」とか「環境」とかのキーワードを見つけたり持ち出して来たりしては人々の不安ばかりを煽り、必要のないものまで必要だと思わせているのではないか?と穿ってしまいます。30年くらい前、それは1980年代です。つい最近です。その頃の家って、そんなにもろいものだったでしょうか?

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