“イメージ”とは、何でしょう。
毎日、一度はかならず耳にするか口にする言葉。「じゃあ、そんなイメージで。」「どういうイメージでいきましょうか?」「イメージ的にどうですかねえ。」
・・・実体があるようでない、不思議な言葉です。
映画館で「アース」を観ました。予告でみる、あの北極グマの悲しい映像が印象にあって、この「映画」は地球温暖化への警鐘のような、ある種考えさせられるメッセージをもった「映画」なんだなと、勝手に“イメージ”して観に行きました。ところが、観終わった感想は「何だこりゃ?」・・・。私は、「アース」を「映画」なのだと勝手に“イメージ”していたので、「映画」ではなく「ドキュメンタリーフィルム」を観せられて唖然とするしかありませんでした。「たしかに自然は素晴らしいものですヨ、だけどサ、だから何ナノ?結局何が言いたいノ?」そんな思いで、映画館に「映画」を観にきた私は、納得できずに劇場を後にしました。(それにしても、北極グマの親子はどうなっちゃうんだ?と期待させておいてピシャッと次の動物へ、ハイまた次の動物へ、っていうアレ、まるで映画館に「ディスカバリーチャンネル」を観に来たような・・そう感じたのは、私だけではないはず。)
勝手にひとり歩きをして、暴走をして、実に厄介な“イメージ”。
「アース」のような冗談話は置いておいて、“イメージ”というのは、人ひとりひとりに、もれなく与えられていきます。それは、時に的確で、時に予想外で・・・まるで規則性がありません。
だからこそ、いま自分は人からどう思われているのか、本当は人からどう思われるべきなのか、そういったことを考えるのは大切のように思います。
かつて、私は自分が納得できる身なりであればそれでいいと思っていました。
常識があり、相手に失礼がなく、恥ずべき身なりでないなら、それでいいと。しかし、今はすこし違います。日本は礼節を重んじる国として、おめでたい席にはおめでたい席の、お悔やみの席にはお悔やみの席の、それぞれに合った正しい礼節があります。
ただ、それは言ってみればできて当たり前のことで、その一方でビジネスの面では、会社の代表者としての話題性みたいなものも必要です。先日、昔からの仲間と話して、こんな話題になりました。「猪狩も昔と違ってたくさんのお客様とスタッフのいる身なんだ。服でも車でもそれなりに話題にされることが必要なんだよ。」なるほど、納得させられます。昔よりスタッフが増え、お施主様が増えた今は、増えた人の数だけ“イメージ”を与えているわけです。仕事のことを考えたら、礼節だけでなく、話題性のある人間としても機能しなくてはならない。良いものを身に付けて目立つ計算、それも仕事のうちであると今は思っています。
“イメージ”は、自然発生ではなく、意図して作り、利用する。言葉でいうのは簡単ですが、これほど難しいことはないですね、きっと。今度、周囲に「私はどんな人間か」“イメージ”アンケートでもやってみようか、さぞ驚きの発見があるでしょうね。皆さんもいかがですか?相当面 白い、そして相当予想外の自分が、巷をひとり歩きしているかも。