なくても伝わる。けれど、ないのは良くない。

長めの休日になると家族で訪れる宿があります。良く知られた有名なホテルで、先日も訪れました。少し困ったことが起きたので、声をかけたところスタッフが手を貸してくれました。「ああ、こっちのではなくあちらをお使いください」みたいに言われました。なんだか素っ気ない感じがして、少し考えてみました。
「何かが足りない」という感覚です。それって何だろう?たとえば、「これではなくあちらをお使いください」の前に「それは大変失礼いたしました」のような言葉があったりすればよかったのかもしれません。あるいは恐縮して頭を下げてくれることなのかもしれません。不具合があるものを何のメッセージもなく平気で置いておくのは、客ではなく施設側がわるいことですから、そういう言葉や態度があっても当然だと思います。仮に施設側に落ち度がなくても、少なからず客に不都合を感じさせてしまったのだから「気がつくことができずに申し訳ございませんでした」というような言葉から始まっていれば、印象はだいぶ変わっていくのだと思います。
そのホテルのことに限らず、何か日本の社会全体が、相手を思って発する言葉や態度に大切なものを省いていっている感じがしています。「それは大変失礼いたしました」のような言葉や態度は、別にそれがなくても内容は通じていきます。しかし、それがあるのとないのではまるで違います。老舗の有名ホテルでさえその大切な感覚を失いつつあるというのはどうかと思います。それは何も「お客様は神様」みたいな視点で言っているわけではなく、日常においてはとくに著しいと感じます。打ち合わせの冒頭にいきなり本題に入るのでなく「本日は雨のなかわざわざお越しいただいてありがとうございます」というひと言があることが、どれだけ関係を和ませることか。相手に対しての敬意をきちんと伝えていることか。
スーパーで初めてのシステムだったセルフレジがありました。バーコードを読み込んだ後で計量する仕組みを知らず、ちょっと横に置いて最後に袋の上にしまおうと思っていたら、係の人がやって来て「読み込んだらすぐに袋に入れてください!」みたいに言われてしまいました。なんだか怒られているようにも感じました。「お客様申し訳ございません、これはこれこれこういうシステムの機械ですので云々…ご迷惑をおかけしています云々…」などと言ってくれたら、「私こそ知らなくて申し訳なかったです、くらいの気持ちになれるのに」と思いました。伝えればいい、っていうものではないし、伝われば満点、っていうものではない、と思います。
あげくの果てに、家に帰ったら買い物に一緒だった息子が家族に「お父さんスーパーで買い物もできないんだよ」などと面白おかしく暴露され、笑われる始末でした。ふんだりけったりです。