企業は何のために存在するのか?

ゴルフへの冒瀆である、という言葉を聞いて、私はひっくり返りました。多くの人がそうであったことでしょう。
まず、それはゴルフへの冒瀆ではなく、お客様への冒瀆である、というのが正しいです。
そして、それを非難し、自分は他人事のようにふるまったのもあきれました。長としての謝罪はそこそこに、自分は関係ないみたいにひたすら社員を冒瀆するなんて。
ああしたタイプの人というのは、自らの非を認めない才能に長けています。人のせいにしたり、不可抗力だといって上手く丸め込んでしまうようなタイプが多い。
ところで、私の業界では、職人気質が強すぎると経営がうまく成り立ちません。たとえば10万円で任された依頼をこだわりのあまりきっちり10万円かけてしまい、賃金分や経費分が度外視されてしまったり、あるいは、こだわりやどんぶりな性格から予算をオーバーしてしまい、施主に理解を請うてオーバー分を請求するなんていうことになってしまったり。悪気はない、といってしまえばそれまでですが、営業利益という観点が欠けていると、それは会社の信用や寿命というものに関わってきます。
一方、営業気質が強すぎるというのも偏ってしまいます。職人がどんなに良い家をつくっても利益の数字が伴わないと何の評価にもならなかったりします。そうするとつくる側のモチベーションは著しく下がります。商品の魅力という肝心なものが退屈になる会社です。
バランスが良いのは、つくり手がつくりがいがあり、かつ営業利益がきちんと会社を回している、双方のバランスが取れた会社です。双方のやる気が満たされている会社ですね。
ところが今回の一件というのはそうした企業のバランス云々とは無縁の問題でした。営業利益至上、営業利益だけが神、そのためには何をしてもよい、みたいな恐ろしい世界です。これは自動車修理のように一般消費者にとってブラックボックスの多い業界の全体を疑わしい存在にしてしまいます。見えない所、わかりにくい所であってもきっちりと仕事をしてきたプロフェッショナルは大勢いるであろうに、その人達までもが疑われてしまう悪しきイメージを生んでしまいました。
エバーは適正価格、適正利益、適正品質、それが守られるならどんなに切磋琢磨してもよい、という会社です。こうしたバランスが取れている会社にとって今回のような一件は、まったく理解できない他所の世界の出来事に思えます。