脱いだ靴、どうしていますか?

「道」。「みち」とも読むし「どう」とも読みます。「道」は、人と人との関連性を基本に成り立っているように思います。たとえば「道」のひとつ、茶道では、茶室に赴くにじりの手前で履き物を脱ぐ時、自分の履き物を脇にどけておきます。これには、次に出入りする人が不快や不便にならないようにする気持ちがはたらいています。人が人に対してのちょっとした心配りがその後の良い空気をつくるということです。誰だって他人に不快な思いはさせたくありません。そんな、人と人との良き連鎖を作法として定め、指し示したものが「道」だと想像できます。
作法は、何度も繰り返して行っていくうちに、教えをこえて、日常の中で自然に動作となり、習慣になります。その習慣が多岐に渡っている人ほど、周囲の人々は「この人は気が利く人だなあ」と感心し、心の中でその気持ちに応えるべく、自分も見習おうとする気持ちが芽生えて、良い影響の連鎖が起こります。その場全体の空気が良くなり、笑顔があふれます。
大事なことは、「履き物は脇にどけるべし」ということだけを身につけることではなく、「なぜそうしたほうが良いのか」をしっかり考え理解することです。すべての行いは行いそのものが大切でありながら、なぜそうした方が良いのか、という理由が同様に大切だからです。つまりそれは他人への気遣いや思いやりです。
外にあったいくつかの段ボール箱を、数人で室内に移動させる、とします。ある人は、それを室内のいちばんドア寄りに置いたりします。すると、次の人は前に置かれた段ボール箱を避けて、その奥に置かなければなりません。ドア寄りに段ボール箱を置いてしまう人は、自分以外の人の動きがどうなるのかを想像できなかったり、自分以外の人に対する気遣いや思いやりを持つことができなかった人なのかもしれません。茶道の履き物の心配りと変わりないことです。「さて、この段ボール箱をどこに置けば周囲の人が効率的で気持ちがよくなるだろう?」と、何かあるにつれそうした思考法を身につけた人は、間違いなく素敵な人だと思われるでしょう。
家をつくるということの中にも、さまざまな場面でこうした気遣いと思いやりが必要になっています。効率的で快適な現場とは、そうした気づきが随所にふんだんに発生する場所です。やがてそれは、結果である家自体に如実に反映されます。ノウハウや技術は大切です。しかし、それだけに頼っていては決して良い家はつくれない、と思っています。