どうしたら伝わるのだろう?と、悶々と。

良い仕事をしていることを表現するのは、非常に難しいものです。
なぜそんなことを考えたのかというと、エバーのスタッフは非常に良い仕事をしているからです。しかしながらそれを上手く外部に伝えることが非常に難しいのだと感じています。
とくにエバーでは一様に同じスタイルの家をつくっているわけではなく、お施主様のご要望に応じた自由な家づくりをしています。スタイルが決まった工務店であれば、そのスタイルをしっかりと説明すれば統一的な魅力が伝わると思うのですが、エバーではそうはいきません。この家ではこういうところにこだわりがある、一方別の家ではまったく異なる場所に突出した魅力をつくり出している、という風に。それが個々の施工例で違います。
また、それを、結果だけで見せたところで「良い仕事」の真価は伝わらない、と歯がゆく感じます。「なぜそうしたのか?」ということも大事で、その「なぜそうしたのか?」を伝えるためには、そこに至る試行錯誤まで伝わらないと、その部分に費やしたスタッフの叡智や努力や失敗の過程などが伝わりません。つまり、極端な話をすれば、その始まりから完成までの流れが時系列的に見えるくらいまで解説していかないと、その良い仕事の真価は伝わらないのではないか?とさえ思ってしまいます。
良い仕事をしている現場は、何もエバーのスタッフだけでなく、世界中のさまざまな場所で、さまざまな人々が、そのジレンマを抱えているのではないか、とも思います。家づくりなどはとくに、人と人が対峙して生まれる産物です。正解というものは事前に用意されていません。心を何度も通わせ合って正解に近づいていくものです。だからこそ、良い仕事のかけらはふだん見えにくいことが多いのだと思います。頭の中にあるたくさんのピースを組み上げていくような見えにくいことであったり、お施主様との会話の何気ない一言を聞き逃さずに膨らませていくことであったり、そうした見えないことの積み重ねが何かを生みます。
よく勘違いされがちなことがあります。それは、高級な素材を使えばそれがその家の魅せどころでありこだわりになりやすい、という誤りです。それは、最高級の本マグロがあれば誰が握っても最高の鮨になる、と言っているようなものです。そうではなく、素材が最高級の本マグロでなくとも、一流の鮨職人が握る鮨には一流の叡智が隠されている、という解釈が正しいのです。彼らはネタありきで一流と呼ばれているわけではありません。どんなネタであろうと求められたものを一流に仕上げるから一流なのであり、場合によっては客の求めに応じてネタをコーディネートして卓越した組み合わせや流れをつくり出すから一流なのです。
つまり、その時その時の「見立て」が優れていることが大事であるということです。エバーのスタッフはその見立ての感覚で優れているところがあります。適材適所、そこにふさわしい材や技は何か?というところから答えを導き出すことが重要、と考えています。