満足を売る。それは一日にして成らず。

お世話になっている整体院の待合室に週刊文春があったので、何気なく読んでいました。気づくと私はそこに連載している漫画に没頭していました。「ファッション!!」というタイトルで、その名の通りファッション業界で挑戦する若者たちの物語です。そこではやはり「ブランド」という世界観を避けて通ることはできません。ブランドとは、何か?なぜ人はブランドに惹きつけられるのか?
かつてイタリアに観光に行きました。有名なコモ湖畔は噂通り美しい街並みでした。アウトレットショップがあり、私はそこでバジーレのストールを見つけました。それは郊外のアウトレットショップよろしく、店内で山積みにされて売られていました。その後、ミラノに移動しました。洗練された街に溶け込んだバジーレのショップで、その同じストールは魅力的なディスプレイをされて売られていました。まったく同じものですが、値段はコモ湖畔で売られていた時の数倍になっていました。私はそれを購入しました。
私は、ミラノで出会った商品の方にある価値観を見出したのです。つまり、どんなに安かろうとコモ湖畔のストールは安っぽいおみやげにしかならない。しかしミラノのストールは一定のクオリティやプライスをもった良いおみやげとして誰かに渡すことができる、ということです。同じものであっても、片方は価値を見出さない、しかし片方には価値を見出すことができる。それがブランドであり、結果として価格に反映されています。単に値段が安いとか高いとかいう概念とは異なり、立ち位置がまったく違うものになっています。
それはあるハイブランドの商品を、工場直販で手に入れるのか、銀座の本店で手に入れるのか、の違いにも似ています。そして、工場直販で手に入れるものと、銀座の本店で入れるものは、同じものであったとしても、同じではない、まったく異なるものです。値段も桁違いであるそれを、なぜ人は銀座の本店で買うのか?それには人を惹きつけるさまざまな何かを、その商品が身につけたからです。伝統とか、技とか、信頼とか、感性とか、看板とか、安心とか、そういったものです。一長一短では生み出すことのできないそういったものも含めて、そのブランドのものが欲しい、思えるから買うのです。
世の中には歌が上手な人がたくさんいます。しかし、どこかの名もなき素人さんが、桑田佳祐さんよりも何十倍も上手にサザンの歌をうたえたところで、桑田さんのかわりができるわけではありません。桑田さんの歌は、桑田さんが歌うから、桑田さんというブランドであり得るわけです。
私たちの業界で言うなら、歴史ある大手ハウスメーカーというのは、ブランドです。人によっては「自由に建てたくてもやりたいようにはさせてくれない」という感想を持たれるかもしれません。しかし、それは、ブランドだから、という風に考えると納得がいくと思います。「やりたいことができない」のではなく「やらせない」のです。ルイ・ヴィトンが、バッグをファスナーのところだけお客さんの好みに付け替えて売ったりしません。そういうことなのです。
さて、エバーは人々にとってブランドになったのでしょうか。立ち位置は大手ハウスメーカーとは真逆で、お客様の自由な発想を後押しするスタイルなので、比較できるものではありません。しかし、以前にあるお施主様がこんなことを仰ってくださいました。「憧れのエバーさんで建てられて幸せです」なんだかエバーがブランドっぽく言われて、お世辞と知りつつうれしく感じました。